PAGETOP
きのこふしぎ発見

【きのこを旅するvol.2】きのこを愛した著名人たちと、著名人の目から見たきのこの存在

2023.07.01
【きのこを旅するvol.2】きのこを愛した著名人たちと、著名人の目から見たきのこの存在

気温が30℃を超える日があるなど、夏季休暇を取ってリフレッシュする時期が近づいてきました。避暑を兼ねて、山を散策してきのこ狩りにいそしむ方もいらっしゃるかもしれません。実は、文化人や芸術家、科学者の中にも休暇を利用してきのこ狩りを楽しんだり、あるいは幼年期にきのこに夢中になったりした方がたくさんいらっしゃいます。

それを裏付けるように、きのこを題材とした芸術作品は世界各国で古来より存在し、例えばわが国でも万葉集に松茸の香りをテーマにした短歌が詠まれています。

「芳(か)を詠む 高松のこの峯も 狭(せ)を笠立てて 満ち盛りたる 秋の香(か)のよさ」

そこで今回は、きのこを愛した著名人の作品をエピソードとともに紹介します。夏季休暇で時間のある時に、きのこを愛した人々に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

昆虫だけじゃない!ファーブルのきのこへのこだわり

ジャン・アンリ・ファーブル(1823~1915)は、『昆虫記』で有名なフランスの博物学者です。南仏の山の中の小さな村で生まれたファーブルは、幼年期より自然に囲まれた生活を送り、きのこと出会ったことで自然観察に目覚めたとされています。ファーブルのきのこのエピソードは『昆虫記』の「幼年期の思い出」に描かれ、きのこを研究することは無上の喜びだったと回想しています。

ファーブル

ファーブル(出典はこちら>

きのこの研究は成年になってからも続き、ファーブルが残したきのこ数百点の水彩画はアルマス・ド・ファーブル博物館に保存されています。

典型的ロシア人だったレーニンとチャイコフスキー

レーニン

ウラジミール・レーニン(出典:Photographs of Vladimir Ilyich Lenin

ロシア人は週末になると郊外のダーチャ(別荘)で野菜栽培や山菜採りを楽しむ生活を送る慣習があるそうです。きのこ狩りもそうした慣習のひとつであり、ソビエト連邦の初代指導者であるウラジミール・レーニン(1870~1924)も、典型的ロシア人の顔を見せていたと記録されています。レーニン夫人のクループスカヤが著した『レーニンの思い出』によると、自然を愛したレーニンが流刑中のシベリアできのこ狩りに熱中した様が描かれています。

ロシア郊外のダーチャ(別荘)

ロシア郊外のダーチャ(別荘)の様子

レーニンが興したソビエト連邦崩壊の約1ヶ月前には、マジックマッシュルームの食べ過ぎでレーニンがきのこになってしまったというデマが流布したという後日談もあります。

ピョートル・チャイコフスキー

ピョートル・チャイコフスキー

一方、「くるみ割り人形」や「白鳥の湖」で有名なロシアの作曲家、ピョートル・チャイコフスキー(1840~1893)も、ロシア人らしいきのこの逸話を残しています。モスクワ郊外のクリンに移り住んだチャイコフスキーは作曲の合間に自然の中を散歩する日々を送っていました。あるとき、知人と森の中でヤマドリダケの群生を発見したとき、きのこに覆い被さって「きのこは俺のものだ!」と叫んだと、チャイコフスキーの娘、カシーキンが回想しています。それほどきのこに熱い情熱を注いでいたのであれば、もしかするとチャイコフスキーの作品には、きのこからインスピレーションを受けた楽曲もあるのかもしれませんね。

余談ですが、ディズニー映画『ファンタジア』で「くるみ割り人形」の曲に合わせて、赤色の傘をしたきのこたちが踊るシーンが収録されています。まるでチャイコフスキーのきのこ好きを現代でも表現しているようです。

菌類学者から絵本作家へ転身した『ピーターラビット』の原作者

また、世界中のお子さんたちに愛されている児童書『ピーターラビット』の原作者であるビアトリクス・ポター(1866~1943)は、絵本作家になる以前は菌類学者として活動していたイギリスの女性です。ポターの幼年期には、一家でスコットランドの田舎町・ダンケルドへ避暑に訪れていたそうです。幼年期から始まった自然観察は、菌類の研究へと受け継がれ、きのこの胞子の培養に成功し、論文として発表するほどでした。しかし、アマチュアだったポターの研究は真面目に取り合ってもらえず、絵本作家へと転身したようです。ポターが描いたきのこのスケッチは自身の絵本に添えられているだけでなく、『ピーターラビットの野帳(フィールドノート)』に水彩画として残されており、画家としてもすぐれた表現力を持っていたことが確認できます。

ビアトリクス・ポターの描いたきのこの水彩画

ビアトリクス・ポターの描いたきのこの水彩画(出典はこちら>

海外渡航で目覚めた南方熊楠のきのこ研究

日本にもポターと同時期に生きた菌類学者がいます。南方熊楠(1867~1941)は、和歌山県が生んだ博物学者であり民俗学者でもあります。変形菌の研究で有名な熊楠が菌類に興味を持ったのが、米国滞在中の1892年のようです。米国で見つけた菌類の標本に感銘を受け、『菌類図譜』を編さんしました。熊楠は標本とともにきのこの彩色図を描いており、その数は数千に及ぶといいます。

南方熊楠

南方熊楠

熊楠の出生地である和歌山県はブナ林の生息地としても有名で、ブナと共生するきのこを散策するために那智の山中を駆け回り、菌類を片っ端から集めたという逸話が残っています。

日本を代表するキノコ作家だった宮沢賢治

宮沢賢治

宮沢賢治(出典はこちら>

和歌山県から舞台は岩手県へ。岩手県は豊かな森に恵まれており、夏には涼しい気候であることから、古くからきのこの産地として知られています。岩手県花巻市出身の童話作家、宮沢賢治(1896~1833)もきのこに魅了されたうちの一人で、『朝に就ての童話的構図』『谷』『二人の役人』『さるのこしかけ』という4編のきのこ小説を世に送り出しています。また、「きのことあり」では、幼い蟻が兵隊蟻に白い建物(きのこ)の測量を依頼しますが、柱(きのこの柄)が折れて倒れてしまったために、兵隊蟻が頭を抱えてしまったという、賢治の独特な世界観が表現されています。ちなみに、きのこ研究家の飯沢耕太郎さんはこのきのこがヒトヨタケではないかと推定しています。

幼年期からきのこに思いをはせた水木しげる

妖怪漫画のイメージ

妖怪漫画のイメージ。水木しげるは現代の妖怪漫画の礎を築いた。

『ゲゲゲの鬼太郎』、『悪魔くん』など妖怪漫画の第一人者である水木しげる(1922~2015)は、きのこをテーマにした短編漫画を残しています。本人のエッセイによると、幼年期からきのこは小人の家だと連想していたようです。『その後のゲゲゲの鬼太郎』にはねずみ男がきのこを食べるときのこが体内から育つエピソードがあったり、短編漫画『きのこ』には主人公が発見した等身大の球形をしたきのこが実は宇宙人の乗り物だったエピソードがあったりするなど、きのこへの並々ならない思い入れが漫画に込められています。

背景のエピソードを知るともっと楽しい作品の数々

多くの著名人、芸術家がこれまで世に出してきた文学作品や絵画、音楽を見聞きすると、その多くの人がきのこに魅了されていたことを確認できます。その背景には幼年期のきのことの思い出やこだわりがたくさん詰まっており、時代や地域を問わず、多くの人々の身近にあり、人々を魅了してきた「きのこ」という生き物の不思議な魅力を感じるようです。
夏季休暇で時間に余裕ができるこれからの時期、ご自宅でほっと一休みしながら、今回紹介した著名人の作品や、これまできのこが登場する作品だと何となく思っていた作品の誕生の背景にも思いを馳せながら、もう一度文学作品や絵画、音楽に触れてみるのはいかがでしょうか。もしかしたら、それらの人々が見て、感じてきたきのこの魅力など、新たな発見に出会えるかもしれません。

参考文献

  1. 東洋大学「エコフィロソフィ」研究「南方熊楠とアンリ・ファーブルーキノコ図譜を軸とした対比の試みー」
  2. 科学「熊楠と怪しく光るキノコのなぞ」
  3. 文學界「きのこ文学の方へ」
  4. 『その後のゲゲゲの鬼太郎 3』
  5. 『水木しげる漫画大全集(『ガロ』掲載作品)
  6. 『きのこ文学大全』
  7. 『ファーブル昆虫記: 完訳』第10巻下
  8. 『風流キノコ譚: 菌・自然・哲学』
  9. 『キノコの不思議:「大地の贈り物」を100%楽しむ法』
  10. 『賢治童話』
  11. 昆虫記で有名なファーブルは実は「キノコおたく」だった
  12. ロシア人は「きのこ民族」?
  13. Beatrix Potter, Mycologist: The Beloved Children’s Book Author’s Little-Known Scientific Studies and Illustrations of Mushrooms
  14. 南方熊楠の植物学
  15. How Vladimir Lenin Became a Mushroom
生命力を食べる。 人と菌の物語

きのこらぼに無料会員登録をしていただき、ログインした状態で記事をご覧いただくとポイントがもらえます。
貯まったポイントは、プレゼント応募にご利用いただけます。