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Do My Best, GO! 〜アスリートインタビュー

プロアスリートを支える食事に迫る。第43回 バレーボール・狩野 舞子さんインタビュー

2024.06.01
プロアスリートを支える食事に迫る。第43回 バレーボール・狩野 舞子さんインタビュー

明日への一歩を応援する「Do My Best, Go!」。今回は2012年ロンドン五輪にバレーボール女子日本代表の一員として参戦し、現在は解説やイベントなどでバレーボール普及に携わる狩野舞子さん。バレーボールを始めたきっかけや代表時代・ロンドン五輪での経験、アスリート時代の食生活など幅広くお話しいただきました。

狩野さんはお父さん、お母さん、11歳年上の2番目の姉・美雪さんもバレーボール選手という「バレーボール一家」だとお聞きしましたが、バレーボールは当たり前のようにはじめられたのでしょうか。

赤ちゃんの頃からママさんバレーボールに参加する母親に抱きかかえられて体育館に行っていたので、そこでボール遊びをするような子だったようです。姉の応援にもよく行っていましたし、バレーボールが生活の一部になっていたのは確かです。本格的に始めたのは、通っていた三鷹市大沢小学校のスポーツクラブに入った小学4年生の時なのですが、それもごく自然の流れだったと思います。

八王子実践中学時代には3年生で日本代表候補に選ばれ、当時は「中田久美以来の中学生代表」と言われ、大いに注目されましたね。その後、八王子実践高校を経て、2007年に久光製薬のチームへ。当時、指揮を執っていたのが、現日本代表の眞鍋政義監督でしたね。

眞鍋監督の第一印象は「愉快な人」。「女子のチームは初めて」と言っていましたけど、すごくコミュニケーションが上手だし、選手に好かれる監督だなと感じました。

一方でバレーボールになると物凄くシビア。数字へのこだわりが強くて、前の試合の返球率やスパイク成功率などのデータを全部張り出すくらいのことをしていて、結果の世界なんだと痛感させられました。「やっぱりデータのいい選手から使われるんだな」と久光に入ってすぐに思いました。

その後、2008年2月に右足アキレス腱断裂を経験されますが、当時はどのような思いでしたか。

そうですね。まず筋肉が全部落ちてしまうので、ひざ下が腕かと思うくらい細くなってしまいました。日常生活も思うようにならないので本当に落ち込むことが多かったです。

バレーボールはジャンプの競技なのに、飛ぶという動作も忘れてしまう。踏み切りも落下にしても、恐怖の連続でした。それを乗り越えてから、元の自分に戻すためのリハビリが本格化していくのですが、孤独だし、毎日同じメニューだし、どうしてもネガティブになってしまうんです。

そんな時、眞鍋監督から「ムリヤリにでもポジティブに考えるようにしろ」と言われました。「いやいや、この状況じゃムリ」とは思いましたけど、「今でよかった」と。「あと1年、2年遅かったら、2012年のロンドン五輪に間に合ってないぞ」とも言われて、「なるほどな」と前向きになれました。

起きたことを悔やんでもしょうがないから、プラスに考えて、次に生かすことの大切さを眞鍋監督から学ばせてもらいました。家族もチームメートも私を落ち込ませないように明るく接してくれましたし、そのおかげで復帰が早く感じられました。復帰できた時は本当に嬉しかったです。

その後、イタリアに渡り様々な経験をされた狩野さんですが、貴重な国際経験を武器に、2012年のロンドン五輪メンバー入りを果たし、日本の28年ぶりのメダル獲得にも貢献されました。当時を振り返っていかがでしょうか。

大会前に竹下さんがケガをして、不安もありましたし、チームとしてとても調子がよかったわけではなく、まずは目の前の試合を1つ1つ勝っていこうという気持ちでした。だけど、準々決勝の中国戦を前に、チームの状態も上がってきて「いけるんじゃないか」とみんなで話をしていました。中国にはそのシーズン、一度も勝ったことがなかったと思いますが、このチームなら勝てるという自信をみんなが持っていたし、一体感もありました。

その中国に勝ち、準決勝でブラジルに敗れたものの、3位決定戦で韓国を下して、銅メダルを手にすることができました。

大会を通して私は全然得点を取れていなかったので、五輪が終わってからも「ホントに自分は貢献できたんだろうか」と疑問に感じることもありました。だけど、メンバー12人の中で自分に何ができるかを毎日考えて過ごしていたのは確かでした。
「チームが勝つために何をすべきなのか」と日々模索し続けたし、あれほどフォア・ザ・チームを脳裏に焼き付けたことはなかった。そういう意味では、どこかで自分を必要としてもらえたのかなと。そう思ってもらえたら嬉しいですね。

コートの外では、チームの盛り上げ役という役割を担当している意識はありました。「ベンチが強いチームは勝てる」とも言われますが、控えメンバーがレギュラーと同じ気持ちでいられるかどうかはすごく大事。それをロンドン五輪で学ぶことができました。

それでは、ここからは狩野さんの現役時代の食生活についてお伺いします。当時、食事面で意識していたことはありますか。

私はもともと好き嫌いがすごく多くて、食事が楽しくなかったんです。でも「食事もトレーニング」だと思って食べるようにしていました。
食事自体をもっと楽しめていたら、競技につながるポジティブな影響もあったんだろうなと思うので、幼少期から好き嫌いをなくすように工夫することがすごく大事だと改めて感じます。私の場合は、親が「食べたくないんだったら仕方ない」というスタンスだったので、甘えてしまいましたね。

狩野さんは何が嫌いだったのですか?

野菜ですね。火が通っていれば野菜も食べられることに気づいてからは、温野菜とか蒸野菜、鍋物で摂るように心がけました。今はドレッシングなどもいろんな種類が出ていますし、「自分がこういう食べ方だったら沢山の量を取れる」という方法を発見することも大事なのかなと思います。

野菜に近い食材ですが「きのこ」は食べますか?

きのこはむしろ大好きです。しめじやえのき、エリンギなど全部好き。これまできのこでビタミンを補っていたのかもしれませんね。
鍋を食べる時には、山ほどきのこを入れます。体によくて、ビタミン豊富で低カロリー、しかも満腹感があるということで、アスリートの強い味方です。代表のメンバーも好んで食べていました。

また、「今は高カロリーを摂りたくないな」「体を軽くしたいな」と思う時にもきのこを多めに食べるようにしていました。

引退後にはアスリートフードマイスターの資格も取られたそうですね。

現役を離れてから、各地でバレーボール教室を開いたり、普及活動に参加する中で、子供たちや親御さんに対しても栄養指導の機会があるんです。そういう場に何の知識もない状態で行くのは失礼だと思って、資格を取りました。

アスリートの食事管理というのは、自分自身がずっと経験してきたことで、それが正しかったのかどうかを再確認する意味でも、勉強するのはすごく良いことだなと思いました。
私のような野菜嫌いの子供でも、調理方法だったり、味付け、食材の組み合わせなどで結構食べられるようになる。「こういうアイディアもありますよ」とアドバイスできるのは大きいですし、実際に取り組んでもらえるのも嬉しいですね。

狩野さんと同じく苦手な食材が多い子どもを持つも多いと思いますが、ご自身の経験から苦手を減らすための取り組み方はありますでしょうか?

「この野菜を食べると体のこういう部分にプラス効果があるんだよ」「役に立つ食べ物なんだよ」と知識も一緒に教えてもらえたら、もっと食べようと思ったのかもしれません。理由なく「これは食べないとダメ」「残しちゃダメ」と頭ごなしに言われると、子供はどうしても「嫌だ」となります。「絶対に食べたくない」と反発することも多いのではないでしょうか。自分自身もそういうところがあったので、反面教師にしないといけないなと感じますし、経験を生かしながら栄養指導をするようにしています。

きのこらぼ限定公開 INTERVIEW

それでは最後に、アスリートの方に向けて食事面のアドバイスをお願いします。

自分はケガが多かったので、タンパク質やビタミンなど疲労回復を促進させてくれる組み合わせの食材を多く取り入れていました。試合前日はタンパク質を多めにして、当日はうどんやおにぎりなど炭水化物をメインに摂ることでスタミナが落ちないように気を付けていました。そして試合後も時間を置かずに吸収のいい補食を摂取していました。
そういった習慣をつけていくことが、しっかりした体づくりやいいパフォーマンスにつながると思います。


狩野さんのDo my best,Go!

■ 好きな言葉は?
難しいなあ…(苦笑)。座右の銘とか特別な言葉はありませんが、大事にしているのは「初心に返る」ですかね。大ケガをした時も、リハビリ生活を強いられた時も、バレーボールを続けるべきか悩んでいた時も「始めた時の気持ちを思い出そう」といつも考えていました。「本当にバレーボールって楽しいな」「好きだな」と感じながら夢中になって取り組んだ頃の気持ちを取り戻せば、迷いも吹っ切れるのかなと思います。

■ 競技人生の中で忘れられない大会は?
イタリアにいた頃、準優勝した強豪のヴィラコルテーゼに勝った試合ですね。所属していたパヴィーアはすごく弱いチームで、そのシーズンは1勝18敗と全然勝てなかった。でもその1試合だけは勝利して、地元の新聞にも載ったくらいのサプライズだった。しかもその日は日本から母親が応援に来てくれていて、日本代表の眞鍋政義監督も視察に訪れていた。そういうこともあって、より強烈な印象として残っています。

■ ご自身にとってバレーボールはどんなもの?
これも難しいですね(苦笑)。選手の頃は「自分自身を熱くさせてくれるもの」と答えていたと思いますが、今は「全ての縁をつなげてくれたもの」なのかな。バレーボールってつなぐ競技なんですけど、それに深く関わったことで、多くの人とつながることができた。やっぱり自分にとってはなくてはならないものですね。

■ リラックスや切り替えは?
選手時代も今もやっぱりドライブですね。私は運転が大好きで、普段の移動時も運転をしますが、急にふと遠出したくなることがあるんです。車の中の1人の空間がすごく落ち着く。そこで好きな曲をかけて、行き先を決めずに気の向くままにドライブすることも多々ありますよ。
PFUブルーキャッツにいた頃は、石川県の能登半島の西側を走っている里山街道をよく走っていました。夕日がすごくキレイで、清々しい気持ちになれました。今年元日に能登地震が起きた時にはすごく心配になりました。2月に現地に生かせていただきましたが、七尾や輪島、珠洲の方は支援が追いついていないと聞きました。自分には募金くらいしかできないけれど、できることがあったら積極的にやりたいと強く思いました。

■ 今後の目標は?
バレーボール界への恩返しをすることですね。今は日本代表の練習を見に行かせてもらったりもしていますが、昔に比べると地上波放送が減ったり、一般の方がバレーボールに触れる機会が少なくなっていると痛感します。その現状を踏まえ、もっと盛り上げていきたいし、宣伝・普及活動も告知にも力を入れたい。後輩たちが全力を注げるように最大限、応援していくつもりです。

狩野さんが今食べたい菌勝メシ

コメント

現役の頃は怪我が多かったので、食事を工夫して疲労回復やスタミナを維持できるよう気をつけていました。きのこは栄養素が豊富なうえヘルシーで欠かせない食材。きのこやお肉、野菜がバランス良く食べられる丼は身体づくりにぴったりですし、簡単に作れて良いですね。

きのこビビンバ風

きのこや豚肉に豊富なビタミンB1は、糖質の代謝を促すので、ごはんと合わせて摂ることで効率の良いエネルギー補給に役立ちます。卵からタンパク質も補給できるので、練習後にもオススメ。ピリ辛味で疲れているときにも食べやすい一品です。

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profile

狩野 舞子

(かのう まいこ)

1988年7月15日生まれ、
東京都三鷹市出身
八王子実践高校―久光製薬スプリングス―パヴィーア(イタリア)―ベシクタシュ(トルコ)―久光製薬スプリングス―PFUブルーキャッツ
家族の影響で幼少期からバレーボールに接し、小学校4年から三鷹市大沢スポーツクラブに入って本格的に競技を始める。八王子実践中学3年時には2004年アテネ五輪日本代表候補18人に選出。「中田久美以来の中学生代表」と騒がれた。
八王子実践高校を卒業した2007年に姉・美雪が所属する久光製薬入り。翌2008年に右アキレス腱断裂の重傷を負い、長期離脱を強いられたが、2009年に日本代表に正式登録された。だが、2010年には左アキレス腱断裂と再びケガに悩まされることになる。リハビリ途中の7月に久製薬を退団。復帰直後の11月にイタリア・セリエAのパヴィーア移籍を決断する。さらに翌2011年10月にはトルコ1部・ベシクタシュへ。両国での国際経験を高く買われ、2012年ロンドン五輪日本代表12人に滑り込み。28年ぶりの銅メダル獲得に貢献した。
五輪後の2012年9月には久光製薬に復帰。セッターに転向するも、2015年6月に引退を決意。1年間は解説業に携わったが、2016年7月にPFUで現役復帰。1シーズン存分プレーして完全燃焼でき、2018年5月にキャリアに完全に終止符を打った。その後はメディア露出やバレーボール教室など多忙な日々を過ごしている。

協力:THE DIGEST

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