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Do My Best, GO! 〜アスリートインタビュー

プロアスリートを支える食事に迫る。第56回 水泳・柴田 亜衣さんインタビュー

2025.07.01
プロアスリートを支える食事に迫る。第56回 水泳・柴田 亜衣さんインタビュー

アスリートへのインタビューを通し、明日への一歩を応援する「Do My Best, Go!」。今回は、水泳の日本代表としてアテネオリンピックの女子800m自由形で金メダルを獲得した柴田亜衣さんにお話を伺います。現役時代の貴重な経験やエピソード、食生活で意識していること、さらには、年齢を問わずスポーツを頑張る方々へのアドバイスなどもお聞きしました。

▶ 柴田さんの食事インタビューはこちら

はじめに、水泳をはじめたきっかけを教えてください。また、子どもの頃はどのような環境で水泳をされていたのでしょうか?

水泳好きの母がほぼ毎日泳ぎに行っていたので、その影響で3歳の時から3つ上の姉と一緒に私も通うようになりました。
小学2年生の時に福岡から徳島に引っ越しをして、家の近くのスイミングスクールで高校3年生までずっと泳いでいました。最初は育成コースで、5年生から選手コース。その頃から姉と一緒に朝練習にも行くようになりました。朝は4時半前に起きて軽く食べてプールへ行き、5時から7時まで2時間練習。戻って朝ご飯を食べてすぐ学校に行き、放課後は夕方5時半から7時半まで2時間泳いでいましたね。

オリンピック出場を目標にするようになったのはいつ頃ですか。

私が小学校4年生の時に、岩崎恭子さんがバルセロナオリンピック女子200m平泳ぎで金メダルを獲り、それを見てオリンピックに行ってみたいという夢を持ちました。本気で目指したいと思ったのは鹿屋体育大学3年生だった2003年に世界選手権に出た時です。

そこで一緒に出場していた北島康介さんが世界新記録を出して金メダルを獲る姿や、他の選手がメダルに輝く姿を見て、「予選落ちしている自分は何をしているんだろう。せっかく日本代表になったのに、私は世界と勝負する目標を持っていなかった」と悔しく思い、世界の人と勝負する場として目指したのがアテネオリンピックでした。

2003年世界選手権の後からアテネオリンピックに向けては、どのような変化がありましたか。

鹿屋体育大学の水泳部はシーズンの始まりに目標の大会やタイムを提出して、先生と1対1でミーティングをします。指導してくれた田中孝夫先生は過去にもオリンピック選手を育てた経験があり、私は田中先生から「今のままでは行けないよ。オリンピックに行けるように練習量や質を上げるけど、ついてこられるのか?」と問われました。「覚悟はあります」と伝えて、その後は毎朝2時間の朝練習を、自分だけ30分延長して行うようになりました。

アテネオリンピックでは女子自由形(400m/800m)に出場し、400mでは自己新記録で5位に入賞。そして800mでは女子競泳初となる五輪の自由形金メダルを獲得しました。アテネオリンピックはどのような大会でしたか?

全体を振り返ると、先にレースのあった400mで予選も決勝も自己ベストが出て調子の良さを感じていました。800mは8日間ある水泳の競技日程の中で7日目にあったのですがその頃には北島さんをはじめ、ほぼ毎日誰かがメダルを獲っていたので、日本チームの中に良い流れができていました。

800mの決勝前には田中先生が「オリンピックだからといってオリンピック用の泳ぎ方があるわけではない。いつものように『あわてず、あせらず、あきらめず』泳いできなさい」と伝えてくれたのです。その言葉を唱えながら泳ぎ、いつも通りの試合をできた結果、自己ベストが出て金メダルを獲ることができました。あのような結果が出るなんて誰も思っていなくて、びっくりでした。

アテネオリンピックから北京オリンピックまでの4年間に、水泳に対する考え方や取り組み方の変化はありましたか?

アテネに行く前はそこで水泳を辞めようと思っていました。でも、アテネで400mを泳いだ時に自分はもっと速くなれると思ったことや、オリンピックで金メダルを取ることはできましたが、まだ日本新記録を出したことがなく、日本一になったことがないままでいいのかと、日本一も目指してみたくなりました。

しかしその後、腰痛を発症し苦しい時期が続いた柴田さん。不安を抱えながら臨んだ2008年4月の日本選手権(北京オリンピックの選考会)で、400m、800mともに再び優勝し、2大会連続となるオリンピック出場権を獲得されました。その時のお気持ちを聞かせてください。

今もはっきりと覚えているのは、優勝したものの標準記録を超えられなかった400mのレースの後、「オリンピックとは自分で勝ち取るものだ」と思ったことです。そして800mのレースでは「もし北京に行けなかったら」ということは置いておき、とにかくこの800mだけに集中して泳ごうと気持ちを固めました。その結果、北京オリンピックの標準記録を超えることができました。自分の残した結果が道を拓くと400mから800mまでの3、4日間で気持ちを切り替えて挑めたことがすごく印象に残っています。

北京オリンピックの舞台は逆境から自分で掴み取ったことに大きな価値があったのですね。柴田さんにとってどのような大会になりましたか?

ベストとは程遠いタイムでしたが、自分では最善を尽くしました。うまくいかないこともあるというのを現役最後の年に経験することができて、それでもしっかり泳ぎ切ったのは、良い経験だったと思います。

北京五輪後、同年12月に引退発表をされました。引退後は水泳の普及活動や子どもたちへの指導など精力的に活動をされています。こうした活動をはじめたきっかけを教えてください。

自分自身が着ていた水着ブランド「アリーナ」のメーカーであるデサントの社員になり、北京の翌年の2009年4月から働き始めました。その時期、水泳教室のオファーをいただくこともあり、学校などへ行った時に子どもたちを教えることが一番好きだと感じ、本格的に普及活動をやりたいと思ったのがきっかけです。その後、デサントを退社してプラミンに所属し、普及活動をしています。

ここからは食事についてお伺いします。子どもの頃はどのような食生活でしたか?

小さい頃は朝ご飯がパンだったのですが、小学校高学年から朝練習をするようになった時にスイミングのコーチの助言で、幅広い栄養素を摂れるように、ご飯や具だくさんのお味噌汁に魚などがつく和食になりました。放課後は補食としてパンを食べてから練習に行き、返ってきたらすぐに夕食を食べるという生活でした。

実は好き嫌いはあって、今でもチーズが食べられないのですが、ヨーグルトや牛乳などの乳製品は大丈夫なのでこの栄養素を摂れないというのは特にありませんでした。高校生までは実家で暮らしていたので、親が作ってくれる料理を残さずに食べていました。身長は小学生の頃から高い方で、大きな病気やケガもありませんでした。

選手時代に食事で気をつけていたことなどありますか?

食べたい物を食べたい時に、好きなだけ食べながら競技に取り組んでいましたね。
海外で試合がある時は、試合前は生ものを控えたり、生の野菜などは状態が悪くなってないかなどをしっかり確認して食べたりするように気を付けていました。

今は2人のお子さんをもつお母さんでもありますが、日々の食事で意識していることや「きのこ」についての印象を教えてください。

きのこは免疫力を高めるというイメージがあるので、家でも子どもたちが風邪をひかないようにきのこを積極的に食べさせるようにしています。風邪をひきやすい季節になると、いつも以上に意識してきのこを食べていますね。

どんな料理で食べることが多いですか?

きのこをバターとポン酢で炒めてよく食べています。簡単にできて美味しいものが好きですね。エリンギとか、しめじとか、舞茸とか、今日はこれがいいなというきのこを買って食べています。

うちは長男がダウン症で、噛む力が少し弱いんです。幼い頃はしめじなどを丸飲みしてしまうことがあったので、ミキサーで細かく刻んでカレーやハンバーグに入れていました。最近は「注意してよく噛んで」と言うとしっかり噛んでくれるようになったので、今は細かく刻まず、もう少し大きく切ってみそ汁に入れています。

大人になってからも、水泳を健康や趣味として続けている方が多くいます。長く元気に水泳を楽しむための心得やおすすめの練習方法があれば教えてください。

やっぱり「好き」が一番だと思います。水泳ならマスターズの大会に出て記録を目標にするのもいいと思いますが、自分の健康のために楽しく、好きだからとにかく泳ぐということでいいと思います。
今でもほぼ毎日泳いでいる母は、水泳だけじゃなくて、水泳を通して人と会ったり、いろいろなことにつながっていったりするのが好きみたいです。

また、いま水泳を頑張っているジュニアアスリートへ向けて競技に必要な考え方、練習への向き合い方などアドバイスをお願いします。

競技への向き合い方はそれぞれですけど、私が一番言いたいのは水泳を嫌いにならないでね、ということですね。嫌いになってしまったら、どんなに頑張ろうと思っても頑張る気持ちが出てこないと思うんです。

私自身、1日中水泳のことを考えていたわけではなく、練習の時以外は寝る時は寝る、食べる時は食べる、遊ぶ時は遊ぶ、と切り替えていました。学校では学校の友達と遊ぶとか、練習が休みの日には違う友達と一緒に遊ぶとか、水泳を一瞬忘れられるような日があってもいいと思います。つねに水泳に集中して成功する人ももちろんいますが、集中し過ぎて苦しくなるのだったら違うことに目を向けたり、他に好きなことをちょっとやったりする時間を設けてもいいのかなと思います。

では最後に、ジュニアアスリートへの食事面のアドバイスを聞かせてください。

私は食べることが好きだったので、選手の時に「こういうものを必ず食べなさい」など頻繁に言われていたらストレスが溜まっていたかもしれません。体の調子が悪くなく健康であれば、好きなものを食べるという食生活でいいと思います。

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柴田さんが今食べたい菌勝メシ

コメント

現役時代は、好きな時に食べたい物を食べて競技に取り組んでいました。きのこは免疫力を高めてくれる食材のため、当時も今も積極的に食べています。きのこやお肉が入った具沢山の丼メニューは一品で栄養バランスが良く、疲労回復や体調管理にも役立つところが良いですね。

きのこと豚肉の簡単しょうが焼き丼

きのこや豚肉に豊富なビタミンB1は、糖質の代謝を促すことで効率的なエネルギー補給に役立ちます。また、ねぎのアリシンがビタミンB1の働きを高め、パプリカのビタミンCが疲れの解消をサポート。アスリートにおすすめの一品です。

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profile

柴田 亜衣

(しばた あい)

1982年5月14日 福岡県出身。176センチ。
3歳から水泳を始め、女子自由形長距離の選手として活躍した。鹿屋体育大学時代の2002年パンパシフィック選手権で日本代表に初選出され、2003年世界選手権に出場。2004年アテネオリンピック女子800m自由形では優勝候補だった先行型のロール・マナドゥ(フランス)をラスト50メートルのターン付近で逆転し、日本の女子自由形選手として初の金メダルを獲得した。2005年世界選手権では400m自由形銀メダル、800m銅メダル。2007年世界選手権では400mと1500m自由形で銅メダル。2008年12月の現役引退後は水泳の普及活動に取り組んでいる。

協力:THE DIGEST