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Do My Best, GO! 〜アスリートインタビュー

プロアスリートを支える食事に迫る。第33回 ラグビー・田中 史朗選手インタビュー

2023.08.01
プロアスリートを支える食事に迫る。第33回 ラグビー・田中 史朗選手インタビュー

アスリートへのインタビューを通し、明日への一歩を応援する「Do My Best, Go!」。今回登場するのは、NECグリーンロケッツ東葛に所属する田中史朗選手。日本人初となるスーパーラグビーへの挑戦や3度のワールドカップ出場を果たしたトップランナーである田中選手に、これまでの歩みや日本中を感動と興奮に包んだワールドカップ、日々の身体の基本となる食事につてお話しいただきました。

はじめに、ラグビーを始めたきっかけを教えてください。

始めたのは9歳、小学4年生の時ですね。仲の良かった近所のお兄ちゃんが中学でラグビー部に入っていて、「お前もラグビーやったら?」って勧められたのがきっかけです。

その後、中学・高校とラグビーを続けられますが、ラグビーにのめり込んでいく転機のようなものがあったのでしょうか。

高校2年生の時に、レギュラーの先輩が大学受験で出場できなかった京都府大会の決勝にスタメンで出させてもらったんですが、その大事な試合に負けて花園(=全国高校ラグビーフットボール大会)に行けなかったんです。すべて自分のせいというわけではなかったんですが、すごく責任を感じてしまって……。一時はラグビーを辞めようかなって思いましたね。

でも、先輩方から「お前らの代は絶対に花園に行ってくれよ」って、ずっと声を掛けていただいて。それで罪滅ぼしというか、自分たちの世代でちゃんと勝って、その姿を先輩方に見てもらわないといけないって、そう思うようになったんです。そこからですね、本気でラグビーにのめり込んだのは。

その後、京都産業大学へ進学。卒業後は、当時の三洋電機(現埼玉パナソニックワイルドナイツ)に入られますが、すでにトップリーグ(現リーグワン)で戦える手応えはありましたか?

それはなかったですね。身体能力は高いほうではなかったので。ただ、元オールブラックスのスタンドオフ、トニー・ブラウン(現日本代表アシスタントコーチ)とずっと一緒にプレーしていたので、彼に怒られたりしながら少しずつレベルアップして、徐々に自信が付いてきた感じですね。

ずっと世界のラグビーを見てきましたが、世界のトップ・オブ・トップのスクラムハーフはもっとスピードがあって、パスも速かったですし、あらゆる面で見劣りしていました。ただ、だからこそ人一倍努力しなくてはいけないとも思いましたね。

田中選手はスーパーラグビー(ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカの南半球3か国のプロチームで競うリーグ戦)のハイランダーズでプレーされています。日本人として初めて、世界最高峰リーグに挑戦されたきっかけは?

初めて出場した11年のワールドカップがきっかけですね。1勝もできずに帰国した時、当たり前かもしれませんが、空港には記者の方が3人くらいいただけで、ファンの方は誰も出迎えてくれなかったんです。メディアにもほとんど取り上げられなくて、「このままでは日本ラグビーが終わってしまう、誰かがなんとかしなきゃいけない」と思ったんです。だから自分が何かアクションを起こして、日本ラグビーを盛り上げようって。

そうした経験も積んだ15年のワールドカップでは、初戦でいきなり、優勝候補の南アフリカを相手に史上最大のアップセットを演じられましたね。あの歴史的な一戦を振り返っていかがでしょうか?

試合が始まって5分、10分くらいで勝てると思いましたね。そんなに強いとは感じませんでした。タックルでぶっ飛ばされていて偉そうなことは言えないんですが、スーパーラグビーの試合と変わらないなという体感がありました。そのくらいしんどい練習をやってきたことが大きかったと思います。

さらにサモア、アメリカも倒して3勝を挙げながら、それでもベスト8には勝ち上がれませんでした。その理由はどこにあったと思いますか?

やっぱり経験値じゃないでしょうか。3回勝ったら上に行けるっていう思い込み。普通なら3勝したらベスト8に行けるんですが、最後のところは得失点差などがネックになってしまった。プール戦の4試合はすべて勝たなくてはいけないんだと思い知らされました。ただ、それがあったからこそ、4年後の19年大会のベスト8につながったんだと思います。

15年大会はレギュラーとして全4試合にスタメン出場された田中選手ですが、19年大会では途中出場で流れを変えるインパクトプレーヤーとしての役割に。その時のお気持ちをおしえてください。

初めはちょっとしんどかったですね。ただ、僕もいろんなチームでプレーしてきたなかで、スターティングとかリザーブとかってもう関係ない、チームが勝てばいいと考えられるようになっていました。とにかく勝つために、自分に何ができるのかと、そこは切り替えて大会に臨むことができました。

特に印象深いのが、当時世界ランク2位のアイルランドを撃破した第2戦です(19-12)。56分に流大選手に代わって田中選手がスクラムハーフに入ってから、パス回しのスピードが完全に変わりましたね。

ベンチで試合を見ていて、前半で相手が疲れているのが分かったので、とりあえずテンポを上げようと意識してピッチに入りました。結局、自分が入った数分後に、福岡(堅樹)が逆転のトライを奪ってくれたので、あとはゲームをコントロールすることだけに集中しました。あれは僕のラグビー人生の中でも、すごく楽しい試合でしたね。

やっぱり、日本開催というのがすごく大きかったと思います。僕らの中でも、日本のみなさんが見てくれているというのは意識していましたし、背中を押していただいてとても心強かったですね。

その後、サモア、そして4年前に苦杯を舐めたスコットランドにも勝利して、史上初のベスト8進出を決めましたが、歴史を塗り替えた瞬間は、どんな気持ちでしたか?

なんというか、罪滅ぼしができたなっていうのはすごくありましたね。11年のワールドカップで1勝もできず、日本のラグビー人気を落としてしまった責任を、ずっと感じていましたから。

当時の熱狂を肌で感じられて、いかがでしたか。

いやもう、本当に嬉しかったですね。やっとラグビーが認知されたというか、あの大会を通して日本のみなさんにラグビーの楽しさ、ラグビーの価値を分かってもらえたと思います。チームも『ONE TEAM』としてひとつになって戦いましたが、日本中がまさにひとつになった大会でしたし……こういう話をしていると、また泣いてしまいそうです。日本代表の桜のジャージを着て、子どもたちが公園でラグビーをしてくれる日が来るなんて、一昔前では想像もつきませんでしたから。

そういった活躍の裏には食生活の影響も大きかったと思います。食事についてはかなり意識されていますか?

自宅(現在は群馬県)では妻がすべてコントロールしてくれるので、そんなには意識していません。ただ、シーズン中は(千葉県に)単身赴任しているので、「週の初めは炭水化物を少なめにして、週末の試合が近づくにつれて増やしていこう」とか、自分でいろいろと考えながらやっています。

ハイランダーズでプレーしていた頃、海外での食事はどうされていたんですか?

妻が一緒にニュージーランドまで来てくれていたので、食事は全部コントロールしてもらいました。元アスリート(バドミントン選手)の妻は、もともと食事に対する意識が高かったんだと思いますが、いまはアスリートフードマイスターの資格も取って、栄養面ですごくサポートしてくれていますね。

そんな奥様のお料理にもきのこがよく登場するのだとか。食材として、きのこにはどんなイメージがありますか?

妻が身体のことを気にかけて、栄養価が高いきのこを日々の食事の中に取り入れてくれていますね。あと、食材に対してのイメージではないんですが、子どもが『きのこ』という歌を幼稚園の発表会で歌ったりしていたので、きのこは「かわいい」というイメージです。

奥様のお料理の中では、どんなきのこ料理が好きですか?

妻の手料理では、味噌汁、しめじ野菜炒め、しいたけ中華丼、エリンギ明太バターが好きなメニューですね。外食だと、きくらげをトッピングしたラーメンが好物です。

大事な試合の前に、決まって食べる“勝負メシ”みたいなものはありますか?

勝負メシはないんですが、試合の前には炭水化物を多めに摂って、前日は寝る前に牛乳を1リットル弱飲むっていうのは決まっている習慣ですね。牛乳は排便をするために飲んでいて、腸内をきれいにするようにしています。

コロナでリーグが中断するなどダメージはありましたが、19年ワールドカップ後には新リーグのリーグワンもスタートしました。トップリーグ時代から長く第一線でプレーしてこられた田中選手の目に、日本ラグビーの変化はどう映っていますか。

シンプルに意識が変わりましたね。特に日本人選手の意識が大きく変わりました。ちょっとラグビーがうまいから、なんとなくリーグワンでプレーしているのではなく、明確に日本代表を意識してプレーしている選手がすごく増えたなと思います。本気でぶつかっているからこそ、試合中のケンカも多くなりました。

僕の若い頃は、日本代表に入っても特別いいこともなくて、そんなに興奮もしなかったんです。でも、いまの若い選手たちは代表入りを大きな目標にしていて、日本代表になることに誇りを感じてくれています。

ただ、だからこそ僕は彼らによく言うんです。「本当に代表になりたければ、普通ではダメだよ」って。周りを見れば、自分よりも頑張っている人は絶対にいるはずだから、その人を超えないと代表にはなれないよと、いつも口酸っぱく言っていますね。

きのこらぼ限定公開 INTERVIEW

最後に、スポーツを頑張るジュニアアスリートの皆さんへ食事面でのアドバイスをお願いします。

まずは、しっかり食べることでしょうね。今は色んなメディアで、トップアスリートのダイエット法とか脂肪をつけない食事法とかが取り上げられていますが、それは身体をつくった後にやること。僕は自分の子どもたち(9歳の長女と6歳の長男)にも言っているんですが、とりあえずたくさんご飯を食べて、身体を大きくしようと。仮にそれで太ってしまっても、その後でコントロールはできますからね。おいしい食事を、楽しみながらきちんといただく。基本的なことですが、そこは子どもたちに伝えたいですね。

田中選手の Do my best,GO!

■好きな言葉、座右の銘はなんですか?
「『信は力なり』(伏見工業ラグビー部の元総監督・山口良治氏の名言)は、もう僕の心の中に刻まれているので、ひとつ挙げるなら『人生は一度きり』ですね。人生は一度しかないんだから、楽しんでいこうというのは、ラグビー教室など普及活動に行った時にも、伝えさせてもらっています」

■これまでの競技人生の中で忘れられないシーンは?
「史上初のベスト8入りを果たした2019年ワールドカップが終わった後の、丸の内でのパレードですね。沿道だけでも5万人、ビルの中の人たちも合わせたら8万~9万人の人たちに祝福していただけたんです。それまでにも『おめでとう』とは言われたことがあったんですが、『ありがとう』と感謝の言葉をいただいたのは初めてで、それがすごく印象的でした。ラグビーをやっていて良かったなって、心から思えましたね」

■リラックス方法があれば教えてください。
「2人の子どもたち(9歳の長女と6歳の長男)と遊ぶことですね。下の子はラグビー選手になりたいと言ってくれていて、僕が家にいる時は筋トレとか、ランニングとか、一緒にトレーニングをしています。結構厳しくやっていますよ。それから、普及活動で他のお子さんたちにラグビーの楽しさ、人生の楽しさを伝えることも、良い気分転換になっていますね」

■これからの目標は?
「ラグビーをもっとメジャーにしたいですね。僕が若い頃に比べたら、メディアに取り上げられる機会も増えましたけど、まだまだ野球とかサッカーには追いついていないので。そして、多くの子どもたちにラグビーをやりたいって言ってもらえるようにしたいですし、そのための普及活動に取り組んでいければと思っています」

■田中選手にとってラグビーとは?
「人生ですね。ラグビーがあったからこそいまの自分がいますし、ラグビーがなければ、たぶん奥さんとも出会っていなかったですからね。本当にラグビーに感謝ですし、これからもこのスポーツに携わって生きていきたいなと思います」

田中選手の今食べたい菌勝メシ

コメント

1日3食必ず食べることや、しっかり栄養を摂ることを心がけています。辛いものが好きなので、栄養のあるきのこがたっぷり入った具沢山のピリ辛スープは食欲が湧きますし、栄養も摂れるので夏にぴったりですね。

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profile

田中 史朗

(たなか・ふみあき)

1985年1月3日生まれ/京都府出身/166㎝・75㎏
伏見工業-京都産業大-三洋電機(現埼玉パナソニックワイルドナイツ)-横浜キヤノンイーグルス-NECグリーンロケッツ東葛
伏見工業の3年次に花園でベスト4、京都産業大でも4年次に準決勝進出の立役者に。三洋電機(現パナソニック)では1年目からスクラムハーフのレギュラーに定着。チームのトップリーグ(現リーグワン)優勝に貢献するとともに、自身も新人賞、ベスト15に輝いた。2012年には世界最高峰のスーパーラグビー(ハイランダーズ)に日本人として初めて参戦。日本代表としては11年、15年、19年のW杯に3大会連続出場を果たす。19年にキヤノンに加入、21年からはNECでプレーしている。

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