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Do My Best, GO! 〜アスリートインタビュー

プロアスリートを支える食事に迫る。第34回 バレーボール・清水 邦広選手インタビュー

2023.09.01
プロアスリートを支える食事に迫る。第34回 バレーボール・清水 邦広選手インタビュー

アスリートへのインタビューを通し、明日への一歩を応援する「Do My Best, Go!」。今回はTOKYO2020の男子バレーボール代表として活躍し、現在はパナソニックパンサーズでプレーする清水邦広選手に登場いただきます。バレーボールを始めたきっかけや2008年北京・2021年夏東京五輪に参戦した思い、その活躍を支えてきた食生活まで幅広くお話しをお伺いしました。

はじめに、清水選手のバレーボールとの出合いを教えてください。

幼少期の僕は物凄い人見知りだったので、母が、参加していたママさんバレーの練習に僕を連れて行くようになったんです。最初は周りの友達と遊んでいただけでしたが、「お母さん、何してるんやろ」とだんだん競技に興味が移っていって、いつの間にか「僕もお母さんみたいなエーススパイカーになりたい」と思うようになりました。

身長は子ども時代から大きかったのですか?

中学に入学した時は168センチで少し大きいくらいでしたけど、卒業時には188センチになっていました。その後は4~5センチしか伸びませんでしたね。

中学卒業後は福井工業大学附属福井高校に進学。全国大会も常連でしたね。

そうですね。特に高校3年の時には春高・インターハイ・国体と、すべての全国大会に出ました。でも全て洛南高校(京都府)に負けてしまった。その洛南のエースが福澤達哉(元日本代表/2021年現役引退)でした。監督同士が同級生だったこともあり、大会以外でもよく練習試合をやっていて、練習試合では5分5分の勝率なのに、なぜか本番では勝てなくて…。

とくに忘れられないのが、高3の時の2004年8月11日のインターハイ。その日はちょうど僕の誕生日でした。最終セットに2~3点リードしていたので「初めて洛南に勝てる」と思ったら、まさかの逆転負け。僕はコートで大の字になって起き上がれませんでした。泣きましたし、本当に悔しかった。そのときの「福澤に負けたくない」という気持ちが湧かなかったら、僕はここまで頑張ってこなかったと思うくらいです。

高校時代はどんな取り組みを?

僕は中学時代から「足が細い」と言われていたので、その強化が課題だと考えていました。当時はインターネットもないですし、誰かに教えてもらうのも好きではなかったので、自分なりに試行錯誤して1日5~6キロ走ろうと決めて実践しました。

今では僕が走ったその道を後輩たちが『ゴリロード』と呼んで走ってくれています。いい意味で歴史になったのかな。

その後、大学は東海大学に進学。大学3年だった2007年には日本代表に初選出され、翌2008年の北京五輪には最年少で出場します。悔しい結果になりましたが振り返るといかがでしょうか?

チームは五輪に出ることはできました。でも、当時の日本代表は「五輪出場」までが目標で、本番に立つ前に目標が達成されてしまった。それで気が抜けるというか、すでにメンタル的に負けていた。他の国は目の色を変えて勝ちにくる姿に圧倒されてしまって、1勝もできずに終わりました。

五輪での悔しい経験を経て2009年にパナソニック入りされると、いままでライバルだった福澤選手と初めて同僚になりますね。その当時を振り返っていかがでしょうか?

福澤には大学で勝つことができたので、今度は一緒にバレーをしたいと思っていました。僕はチーム加入1年目からMVPに選んでいただきました。Vリーグで評価されることはもちろん嬉しかったですが、五輪の経験があって僕も福澤もVリーグだけではなく日本代表として勝つこと、活躍することがずっと意識にありました。

その日本代表では2012年ロンドン・2016年リオの両五輪を逃してしまい、「どうしたら世界で勝てるのか」「外国人と日本人の違いは何なのか」をずっと考える日々が続きました。ロンドンのときには「日本人は高さやパワーで勝てない」という思考にハマってしまい、なかなか抜け出せない時期もありました。

でも、そんな中で新たな世代がどんどん代表に入ってきて、特に石川祐希(パワーバレー・ミラノ)や柳田将洋(東京グレートベアーズ)といった選手たちと一緒にやっていく中で、日本は世界相手でも勝てるチームに変わっていったと思います。

東京五輪に力強く向かっていった矢先の2018年2月、全治12か月という予期せぬ大ケガを負いますが、そこから立ち直り迎えた東京五輪。清水さんにとっては13年ぶりの大舞台でしたが、印象的だった試合はありますか?

やっぱりイラン戦ですね。勝てば決勝トーナメント進出、負ければ敗退っていう大一番。フルセットにもつれ込み、石川選手の2連続サービスエースから始まりました。そこから本当に強い日本が始まったなっていうのはありますね。

リオから一緒にやってきた石川選手、山内(晶大=パナソニック)など後輩たちを見て、本当に頼もしくなったなと思いましたね。さらに西田選手(パナソニック)、高橋藍選手(パッラヴォーロ・パドヴァ)、大塚(達宣=パナソニック)選手とか頼もしい選手がどんどんどんどん増えてきて、五輪で好成績を残せるくらいの選手が集まってきた。僕が長年、代表に入っていた中で、今の日本が歴代最強なんじゃないかなと痛感しました。

そう思えたから、彼らに全て託して代表を退くことができたのではないですか?

そうですね、僕自身も年齢的にはもう代表ではきついと思いますし、パフォーマンス的にも若手にすごいプレーを見せつけられたから、代表に関してはもう満足かなと感じました。

長い間日本のバレーボール界を引っ張ってきた清水選手ですが、食事も意識されているそうですね。子どもの頃から気を遣っていたのでしょうか?

子どもの頃は好きなものを好きなだけ食べるという感じで、全然気を付けていなかったです。でもご飯とおかずはしっかり食べるということは小さい頃から習慣にしていました。嫌いなものもほとんどなかったので、出されたものは全部食べていましたよ。

また、成長期の頃はずっとお腹が空いていた感じだったので、練習が終わって帰り道にパン屋で買ったパンを食べるなど、家に着くまでに何かしら口に入れていた感じでした。

高校生のアスリートは1日5・6食、食べることも多いですよね。

僕は実家から高校に通っていたんですけど、朝ご飯を食べて学校に向かい、昼食を食べて、部活が始まる前に何か間食して、練習後もまた間食して、家に着いたら夕飯を食べ、さらに寝る前に食べる…といった生活をしていたと思います。

母親が弁当を何食も作ってくれましたけど、それだけじゃ足りなかったな(笑)。その頃は食べても食べても体重が増えることはなかった。それだけ運動量と消費量が多かったということですね。

体重が増えやすくなったのは成人してからですか?

大学生くらいからです。高校3年で部活を引退した後、1カ月くらいバレーボールから離れた時期があったんですけど、その間に10キロくらい太ったんです。運動をやめてもお腹は空くんで。「僕は太りやすい体質なんだ」とその時、初めて気づきました。
実は僕、小さい頃はぽっちゃり系だったんです。それが小学校高学年になるにつれてグッと身長が伸びて、普通のスマート系の体格になりました。ただ、中学・高校の頃は身長が伸び切って体重が追いつかなかったので、ホントに細かった。「マッチ棒」ってあだ名で呼ばれるくらいでした。

それが急に太ったので、大学でウエイトをして、栄養学も学びました。大学で授業もありましたし、日本代表にも栄養士さんがいたので、どんどん知識を得ていった形です。

栄養についても学ばれたのですね。そんな清水選手ですが、きのこが好きだと伺いました。

そうですね。シメジ、マイタケ、エノキ、エリンギ、しいたけと全体的に好きです。鍋料理なんかの時は肉よりきのこを先に食べたりしていますよ。

きのこには身体の調子を整える効果もあるということですが、ご存じでしたか?

はい、それは知っています。最初はただ好きということで食べていたんですが、日本代表に行ったりするようになって、栄養士さんの指導を受けた時、きのこは食物繊維が豊富で、疲労回復効果が高く、低カロリーで体調のコントロールをしてくれる役割があると聞きました。僕は体重が増えやすいタイプなので、きのこを積極的に摂取しています。

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今、食生活で意識していることがあれば教えてください。

試合期間中の食事は自分なりに変えていきました。大まかに言うと、土日の試合に向けて、木・金とか金・土曜日はご飯やパスタなどの炭水化物を多く摂って、エネルギーとして蓄えるようにしたんです。食物繊維の豊富なきのこや野菜はお腹がパンパンに張ってしまうこともあったので、前日は抑えて、試合後に沢山摂取するようにしました。タンパク質も主に試合後ですね。週の初めの方はそういった栄養素を多くするように心がけています。

その結果、パフォーマンスは上がりましたか?

はい、僕は試合中に足がつったり、バテたりすることが結構、あったんですけど、今シーズンなんかは一度もなかった。試合前々日くらいから炭水化物を意識的に摂取してエネルギーを溜めておくことの大切さを痛感しました。体のコンディションもよくなったし、自分に合った食生活のサイクルが見つかった気がします。

きのこらぼ限定公開 INTERVIEW

最後に、スポーツを頑張るジュニアアスリートの方に向けて、食事面でのアドバイスをお願いします。

高校生くらいまでは、ご飯とおかずをしっかり食べることが大事にしてほしいです。あまり厳しく管理するよりも、まずは好きなご飯を好きなだけ食べた方がストレスも感じないと思います。毎日用意してもらう食事をしっかり味わうことが一番ですね。

清水選手の Do my best,GO!

■好きな言葉は?
「小さな積み重ねが後に大きな変化を生む」という言葉が好きです。
僕は2018年2月にひざの大きなケガをしてしまい、長期離脱を強いられました。リハビリが続いて「こんなことを積み重ねても本当にバレーボールができるようになるのかな」と思う時期が結構あって、メンタル的にもかなり不安定になっていました。
そんな時、マウリシオというブラジル人コーチがこう言ってくれました。「今すぐに結果を求めるんじゃなくて、1日1日を大事にしながら、リハビリも頑張っていったら、キミは必ず復活するよ」とも励ましてくれた。それを信じてリハビリに徹した結果、最終的に復帰することができた。その経験から今もその言葉を大事にしています。

■競技人生の中で忘れられないシーンは?
そのケガをしたJT戦です。そのシーズンはチームも僕自身も調子がすごくよくて「このまま行けば優勝できる」という気持ちになっていました。それが1回のケガで人生がコロッと変わってしまったんです。
それまで大きなケガをする選手を何人も間近で見てきましたけど「自分に起きるなんてまさか…」と思ったし、悔やんでも悔やみきれない瞬間だった。「なんであんな着地をしてしまったんだろう」とケガをしたシーンが何度も何度もフラッシュバックしてしまった。危ない環境と隣り合わせで競技をやっていると改めて実感しましたね。
前向きになるまで時間はかかりましたけど、「復活して恩返しするんだ」という気持ちで必死に頑張りました。

■リラックスや切り替え方法は?
サウナですね。サウナブームが到来してますけど、その10年くらい前からサウナが大好きで、オフのたびに行っています。
3月に亡くなってしまった藤井(直伸)選手も最初はサウナが好きじゃなかったんですよ。「なんでこんなところ行くんですか」とずっと言っていたのに、一緒に行くようになってからすっかりハマっていましたね。すごくいい思い出です。

■今後の目標は?
バレーボール界の指標になることですね。
サッカー元日本代表の中山ゴンさんと対談する機会があって、ゴンさんに長く現役を続ける理由を聞いたんです。「自分は現役を長く続けて、サッカー界の指標を作ってるんだ。自分が40歳過ぎても活躍していたら、若い選手やこれから入ってきた選手の道ができる。カズ(三浦知良=UDオリヴェイレンセ)には負けるけど」という彼の話を聞いて、物凄くカッコいいなと感じました。
僕もバレーボール界の指標になりたい。今は、堺ブレイザーズのミドルブロッカー・松本慶彦さんが42歳で現役を続けているんですけど、僕も追いつけ追い越せでやっていきたい。僕なりにオポジットの限界を超えて、トップパフォーマンスを出し続けたいです。

■清水選手にとってバレーボールとは?
「終わりのないロールプレイングゲーム」のような感じかな。あれだけの大きなケガをしても「やっぱりバレーボールがしたい」「自分はバレーボールが好きなんだ」と心底、思いました。自分にとっては「なくてはならない存在」ですし、まだまだ面白さを発見できるもの。この年齢になっても「もっとうまくなりたい」「若手には負けたくない」という思いになるんです。それだけ大きな価値のあるものですね。

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コメント

食事の量やバランス、食べる順番に気をつけていて、体重が増えやすい体質なので、食物繊維が豊富で低カロリーのきのこは体重コントロールにも役立っています。大好きなカレー味でレタスの食感も良く、きのこで満腹感も得られそうなこのメニューは、がっつり食べたい時にも嬉しいですね。

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profile

清水 邦広

(しみず くにひろ)

1986年8月11日生まれ、193cm・98㎏
パナソニックパンサーズ所属、福井県出身
福井工業大学附属福井高校ー東海大学ーパナソニックパンサーズ
ママさんバレーをしていた母親の影響でバレーボールを始めると、高校時代には全国に名を知られる存在に。東海大学3年の時には日本代表デビュー。スケールの大きなオポジットとして将来を嘱望される。2008年北京五輪に最年少で出場した。2009年にパナソニックパンサーズ入りすると1年目からVリーグ連覇の原動力となり、MVP・スパイク賞・ベスト6入り。名実ともに日本のエースとなる。2013-14シーズンにも個人3タイトル獲得を果たす。2018年2月にひざの大ケガを負い、1年もの長期離脱を強いられる。それでも不屈の精神で2019年頭に戦線復帰。代表にも復帰、1年延期となった2021年東京五輪でベテランとしてチームを支え、準々決勝進出へチームを支えた。

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