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きのこを訪ねて

秋の夜長に追う、「松茸師匠」の謎

2024.10.14
秋の夜長に追う、「松茸師匠」の謎

秋本番、多くの野生のきのこが顔を出す季節がやってきました。
スーパーやデパートで普段は定位置にいるきのこたちも、このときになると “お店の顔”として堂々と入口前に陳列されていることも。
その中でもこの時期だけお目見えする秋の味覚の代表格が、松茸。
今でこそ王様級の扱いをされている松茸ですが、もともとはとても庶民的なきのこでした。
古くは縄文時代の遺跡から「きのこ形土製品」が発見されており、この頃より日本人はきのこを食べていたと考えられています。

「きのこ形土製品」秋田県北秋田市伊勢堂岱遺跡出土
高さ5.2cm(最大)縄文時代(後期)・前2000〜前1000年
秋田・北秋田市教育委員会蔵(秋田県立博物館保管)
(こちらの記事もあわせてどうぞ:きのこは縄文時代から現代まで続く日本人の「食」のパートナー

この「きのこ形土製品」の用途はまだはっきりとはわかっていないそうですが、きのこの豊穣を願う予祝行事や、食べられる/食べられないを伝授するために使用したのではないかという説もあるようです。
現代でいうと、模型やフィギュアのようですね。
もしかしたら、縄文時代のきのこ好きな人がフィギュアにして、お気に入りのきのこをコレクションしていたのかも…?と想像すると親近感が湧きます。
きのこ形土製品を見せあって「あ、そのきのこおいしいよね〜(縄文語)」「このきのこそっくりじゃん!(縄文語)」など情報共有していたかと思うと、胸が熱くなります。

シンプルな形で表現されているので、何のきのこを模しているのかは判別が難しいですが、食毒を教えるためだったとしたら、松茸が含まれていた可能性もありそうです。
現代のフィギュアでもきのこをモチーフにしたものがありまして、私はその中でもソフトビニール製人形(以下、ソフビ)を中心に集めています。
私が思うソフビの魅力は、シンプルな造形と素材の柔らかさです。
金型に素材を流し込んで作られるので、シンプルな形状のデザインが向いていますが、シンプルだからこそ作家や工房のこだわり、アイデアや工夫が詰まっているのが面白いところです。
そんなソフビ作品、私が所有している中でも特にユニークなものが、サンガッツ本舗さんの百鬼夜行シリーズ「松茸師匠(※)」です。

なんとこの「松茸師匠」、江戸時代に書かれた本に登場するキャラクターなのです。
安永8年(1779年)に刊行された黄表紙『怪談豆人形』に出てくる、松茸の化け物です。
黄表紙とは、大衆的な絵入り小説のひとつで、江戸時代に流行しました。
『怪談豆人形』は、小人島に住む小さな化け物たちが、化け方の修行をするため日本へ渡ってくるところから始まります。
様々な土地を訪れ、自分たちより大きな化け物たちに会うのですが、全く相手にしてもらえません。
そうして、三保の松原にたどり着いた際に出会ったのが、この松茸の化け物。
小さな化け物たちに対して親切にしてくれたのは、この松茸の化け物だけでした。

書籍『江戸滑稽化物尽くし』内の松茸の化け物の挿絵

挿絵を描いているのは、鳥居清経(とりい きよつね)という浮世絵師。
松茸から手足が生え、漫画のようなユーモラスな表情をしているキャラクターは現代でも通用するデザインです。
それをソフビ化したサンガッツ本舗さんのチョイスも素晴らしい。
ソフビは金型で作ると書きましたが、その金型は劣化するため生産量に限りがあります。
そのため、制作時期や成形色・塗装色の違いによって様々なバリエーションが生まれたりするのもコレクター心をくすぐられるところです。
このソフビ「松茸師匠」も、成形色・塗装色の違いが展開されています。

手前の松茸師匠は蓄光素材で成形されています

さて、この「松茸の化け物」をもう少し深堀りしてみたいと思います。
気になったのは、松茸の化け物が登場する「三保の松原」。
「三保の松原」は静岡県静岡市にある景勝地で、世界文化遺産としても登録されている場所です。天女が羽衣を松の枝にかけたという「羽衣の松」も有名ですね。

静岡市の資料(2020年発行)によると、現在生えている約3万本の松のうち99.9%はクロマツで、残りの0.1%はアカマツ(約30本)とのこと。
クロマツは潮風や飛砂などの環境に強いため、古くから防災林として植えられている樹木です。三保の松原に残っている樹齢200〜300年の松もクロマツのようなので、江戸時代もクロマツが植えられていたことでしょう。

ここで不思議なのは、松茸はアカマツと共生している菌類だということです。

『怪談豆人形』が書かれた江戸時代は、今よりもアカマツの割合が多く松茸が生える環境だったのでしょうか。
江戸時代の絵図では三保半島の全体に松が分布しており、御穂神社の鎮守の杜として保護されていました。しかし、明治維新後に大規模な伐採が行われており、その伐採時にアカマツが減ってしまったのかもしれません。

ちなみに、前出の静岡市の資料には、現存するアカマツが意図的に植えられたのか、自然に生えたものなのか、由来は不明と記されていました。
人によって植樹されたものであれば、苗木にアカマツが混ざっていたり、自然に生えたものなら、動物が種を運んだということもあるかもしれません。
ですが、そもそも川から海に流れ出た土砂によってできた三保半島で、塩に弱いとされるアカマツが自然に群生するとは考えにくいので、もともとクロマツが多かったと考えるほうが自然です。

となると、松茸の化け物はどこからやって来たのか、ということになります。
化け物とは、本来の姿から変化した姿のこと。
「松茸の化け物」は、本当に「松茸」が化けたものだったのでしょうか。
例えば、クロマツと共生しているきのこ「松露(ショウロ)」が「松茸の化け物」に化けた可能性もあるのではないでしょうか。

もし「松露の化け物が化けた松茸の化け物」だったとしたら、三保の松原に来るまでに散々な目にあってきた小さな化け物たちは、実はここでもからかわれていたということになります。
最終的に、小さな化け物たちは自分たちの島へ逃げ帰るのですが、唯一親切にしてもらった思い出である松茸の化け物との出会いも、これでは台無しです。

なんと不憫な、小さな化け物たち!

知らぬが佛という言葉もありますし、この仮説は小さな化け物たちに知られないようにしたいと思います。
以上、秋の夜長に追った「松茸師匠の謎」でした。

(※) 松茸の化け物は『怪談豆人形』内では名前がありませんでしたが、2012年に式水下流氏(『特撮に見えたる妖怪』著)によって「松茸師匠」と呼び名が付けられました。

【参考文献】
『江戸滑稽化物尽くし』(アダム・カバット 著/講談社)
『三保松原コレクション きのこ』(一般財団法人 三保松原保全研究所 発行)
『三保の松原を守る ― 三保松原・マツ林保全ガイド ― 』(一般財団法人 三保松原保全研究所 作成/静岡市 発行)

profile

とよ田キノ子(とよだ きのこ)

ウェブデザイナー、きのこ愛好家。
2007年に“きのこ病”を発症し、以後「とよ田キノ子」名義で活動を開始。
きのこグッズコレクションの展示や、きのこをモチーフにしたイラスト作品展、きのこイベントなどを開催。
日々、きのこの魅力を伝える“胞子活動”を行っている。
『乙女の玉手箱シリーズ きのこ』(グラフィック社)監修、『きのこ旅』(グラフィック社)著、『八画文化会館叢書vol.04 公園手帖2 キノコ公園』(八画出版部)著。

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