プロアスリートを支える食事に迫る。第46回 ブレイクダンス・石川勝之さんインタビュー
2024.09.01明日への一歩を応援する「Do My Best, Go!」。今回は2024年パリ五輪から正式種目に採用されたブレイキン(ブレイクダンス)の先駆者であり、公益財団法人「日本ダンススポーツ連盟(JDSF)」ブレイクダンス本部長を務める石川勝之(B-boy Katsu One)さんが登場。ブレイキンとの出合いや目標にしていた「教員」の夢、会社設立のきっかけや五輪競技採用、アスリートとしての食生活など、幅広い視点からお話しをお聞きしました。
石川さんは1981年生まれで、神奈川県川崎市で育ったそうですが、幼少期はどんな子どもでしたか?
仲間を連れてすぐどっかに行っちゃうようなメチャクチャ活発な子どもでしたね。
また、外国への興味がその頃からずっとありました。小学校の時に英語塾に習いにいっていて、外国人を見つけると「ハイ、ABCDEFG」とアルファベットを言いながら話しかけるなど、そんなことをしていた記憶があります。とにかく外国にとても興味がありました。
石川さんとダンスの接点はどこにあったのですか?
中学生の時に見たマイケル・ジャクソンが最初ですね。「俺、マイケル・ジャクソンになりたい」と思って、見よう見まねでバック転をしたり、ムーンウォークの真似をしたりしていた感じです。「何やってるの?」と友達に不思議そうに聞かれたときは「ダンスだよ」と。校庭や体育館の隅でちょこちょこ練習するというのが当時の自分でした。
そこから本格的にのめり込んだのは?
大学生の頃です。高校3年の時、中学・高校と続けてきたバレーボールを引退して時間ができた時に、ダンスをしている同級生の友達に少し教えてもらうようになって「こんなに楽しいんだったら大学に行ったらガッツリやりたいな」と思い始めました。
でも将来は教員になることを目指していて日本体育大学に進みました。教員だった父親の教え子だった方が病気で余命宣告を受けた際に「最後に会いたいのは石川先生」と言われた話を母親から聞かされて、「親父すごいな」「教員って人の心を動かす仕事なんだな」と。いつか自分もそんなふうになりたいと強く思っていました。
だけど、日体大のダンス部は創作ダンスだけで、僕がやりたかったストリート系はなかった。「だったら、もう仲間を集めて勝手にやっちゃおう」という感じで、踊り始めたのが始まりでした。
そこからダンスに熱中され、大学1年の時にはアメリカにも渡ったそうですね。
はい。ダンスに熱中するようになってからも「教員になるんだ」という気持ちは持ち続けていました。だったら、やりたいことをやるのは今しかないと思った。大学の長期休みを有効活用して、冬にアメリカに行くことにしたんです。
その時は先輩が出場する大会を見学するためでしたが、最初にロサンゼルスに着いた時の衝撃は凄かったですね。現地で見たのは、自分が後に2007年に優勝することになる「FREESTYLE SESSION」という大会で、インパクトがもの凄かった。ストリートダンスをやっている人はこの大会で優勝するのが目標で、「日本人には絶対にムリ」と言われていたけど、だったらやってやろうと思いましたね。「日本に帰ったら絶対にダンスを徹底的にやってやる」と決意が固まりました。
ダンスに夢中になっていくなかで教員になる夢は?
大学3年の時に「今の自分では教員になれない」とふと思ったんです。中学時代の担任の先生に言われた「夢を追いかけろ」ということを実現できていない自分には説得力がないと感じたからです。当時の僕は「ダンスで世界一を取りたい」「ダンスで多くの人とつながりたい」「海外へ行きたい」という新たな夢に向かっている真っ最中だった。自分が夢を叶えていないのに教員として生徒に夢を語るのは違うなと。
<世界ダンス連盟関係者との集合写真>
その2年後の2007年には、アメリカで行われた「FREESTYLE SESSION」で優勝。2009年に韓国で開かれた「R-16」でも頂点に立ち、石川さんは確固たる地位を築きます。
その後、2010年にはワーキングホリデーでオーストラリアに移住し、2013年には帰国して株式会社「IAM」を設立します。当時を振り返ってみていかがでしょうか。
「世界大会で優勝して、次は何だろう」と考えた時、「自由人になりたい」と思いました。
ダンスという武器を捨てて、1人の日本人として海外で暮らしていくことが可能なのか否か。そこにチャレンジしてみたいと思い至り、オーストラリアに移住しました。
オーストラリアで様々な経験をする中で、「ああ、やっぱり自分からダンスを取ったら何もないな」と思いましたし、本当の意味で人生をダンスで勝負しようと思いました。そして、会社設立のきっかけとなったのはオ―ストラリア滞在中に旅行で行ったベトナムのストリートチルドレンでした。現地の知人と一緒に深夜、外へ食事に行ったところで物売りの少年がいて、売っていたお菓子を買ってあげようとしたら知人から「そのお金は子どもをコントロールしている人間の利益になって、またストリートチルドレンが増えるだけだ」と言われて、ハッとしたんです。厳しい貧困の実態を目の当たりにし、こうした子どもたちの力になりたい。そのためには自分がお金を稼がないといけないと思って、勢いだけで会社を立ち上げました。
そんな中、ブレイキンが2018年ユース五輪の正式競技となり、2024年パリ五輪の正式追加種目に採用されました。エンターテイメントだったブレイキンが競技スポーツになったことを石川さんはどう捉えていますか?
スポーツになったことによって、我々が発信したかったことが発信できるようになったのは確かです。五輪はブレイキンのライフスタイルの一部だし、1つの大会。そういう捉え方でいいと思っています。実際に8年が経過して、ブレイキンで生活できるプロも出現した。スポンサーがつき、僕らもバトルに出るだけでお金がもらえるような環境になって、確実に前に進んだと思います。また、競技人口も物凄く増えました。
ブレイキンは多様性、独創性、「オリジナリティ」をすごく大事にする。人と違うことが称賛されるのが魅力です。「この人はこういうふうに踊るんだ」と個性を見極めるとすごく面白いと思います。例えば、「ゴッホとピカソを見て、審査して下さい」と言われたらとても難しくてできないと思います。どちらも素晴らしい作品で、優劣を競っているのではなく互いの個性をぶつけ合うようなものだと考えて、見てもらえたらいいですね。
ブレイキンは勝敗をつけるのが難しそうですね。
明確に勝敗を決めることに違和感はあると思いますが、その違和感があってもいいんだと思います。やっている人たちも、勝ち負けだけじゃないところのバランスを考えながらやっているはず。そこで楽しんだやつが勝つんじゃないかなと僕は思います。
石川さんは40代になった今もブレイキンを踊られていますが、ベストコンディションを作るために食事はどうしていますか?
大会がある時は体重制限をしなければいけないですね。体重を調整するために20代の頃は炭水化物を抜くやり方でした。米を食べないとか、かなり極端なアプローチをしていました。でも、そのやり方だとパワーが出ないし、スタミナも持たない。栄養士さんから学ぶ機会もあって、炭水化物を摂らないと、ガソリンのなくなった車みたいに動かなくなるという話を聞いてから炭水化物を抜くことはやめました。いまは特にお米を中心に食べるようになりましたね。
もちろん取り過ぎないようには心がけています。野菜や果物、きのこもよく食べますし、タンパク質などもバランスよく摂っています。
きのこは体のバランスを取るのに役立つ食材として知られていますが、石川さんは好きですか?
大好きな食材なので種類を問わずによく食べていますよ。特に食べるのはマイタケとマッシュルーム。海外に住んでいた時はマッシュルームが安く買えるので、ほぼ毎日、バター焼きとかを作って食べていましたよ。それ以外だとパスタに入れたりもしたかな。
きのこは食べた感覚が軽いというか、食べやすいっていう印象がありますね。食感が好きなのと、低カロリーでたくさん食べても大丈夫なのも嬉しい。そして、栄養が豊富に含まれていますよね。特に食物繊維が豊富とよく聞きますが、腸が悪いと体調も悪くなると思うので、腸内環境改善のためにも気を使って積極的に摂取していますね。
石川さんが40代になってもキレのあるダンスを踊っている姿を示していれば、説得力が違いますよね。
それはありますね。我々の業界って、コーチや審査員もそうなんですけど、踊れなくなるとリスペクトされなくなる傾向が強いんです。だからこそ、いかにして体を維持するかというのを自然に考えます。まずは食事が一番重要。そこに気を付けないといけないと強く思います。
ブレイキンを25年間突き詰めてきた石川さんのお姿は斬新さがあります。そんな石川さんから、アスリートの方々に向けてアドバイスをお願いします。
一番に言いたいのは、人の目を気にせず、自分を信じることですね。周りの評価を気にする人は少なくないと思いますけど、そんなに気にする必要はない。「ネガティブな部分が一番カッケーのに」って僕は思いますね。
障がい者の方と一緒にバトルする機会もありますけど、ダンスでは障がいがあることも自分を表現する武器として捉えることができ、平等に楽しく踊ることができます。ダンスは自分のコンプレックスや悩みも長所に変換して表現できるもの。実は自分を表すための一番の武器になるのかもしれない。だからこそ、悩んでいる暇なんかない。そう伝えたいですね。
最後に、食事の面でもアドバイスをお願いします。
当たり前のことですけど、ジャンクフードはよくないということかな。お菓子だけで済ませちゃうといったことは気を付けないといけないですね。やっぱり食事をしっかり摂っていると、長くダンサーを続けられる。それは子どもたちにもよく話をしています。
石川勝之さんのDo my best,Go!
■ 好きな言葉は?
「全ては人との出会いから」ですね。
僕は若い時に海外を放浪しながら「旅ダンス」をしていたんですけど、新たな出会いが次々とあって、自分の周りには常に人がいた。「自分がこういう活動をやれているのは、出会った人たちがいてこそだ」と強く感じたんです。ある意味、人と出会うためにダンスを踊っているんじゃないかと思ったくらい。ダンスを通して多くの友達ができることも大きな魅力だなと思います。
■ 競技人生の中で忘れられない出来事は?
忘れられない出来事は沢山ありますが、強いて言うなら、ベトナムでストリートチルドレンと出会ったことですね。
深夜に地元の友達に連れていってもらったストリードフードの店で、子供たちが僕の周りに集まってきたんです。「あれを買ってくれ」「これがほしい」とねだられて、「全部買ってあげるよ」と対応していたら、友達に「買っちゃダメ」と怒られた。「お前がお金を払っても結局はマネージャーのところに行くだけ。ストリートチルドレンが増えるだけなんだ」と諭されて、頭が壊れるくらいの衝撃を受けました。
彼らを助けようと思うなら、もっともっとお金が必要なんだと分かった。彼らと一緒に楽しんで、夢を持ってもらうためには、会社を設立しないとダメだと思って、2013年の会社設立に至った。「自分はやろうと思うことができる環境にいるんだから、生きることに貪欲になろう」と考えたんです。
■ ご自身にとってブレイキンとはどんなもの?
表現は難しいけど、一番は「出会いのツール」ですね。もっと大きく言うと、「僕のライフスタイル」かな。「寝る・食べる・踊る」というくらい人生に無くてはならないもの。あそこまで無心になれることはないですからね。
ブレイキンの先輩が「俺たちは宝くじで3億円当たるよりラッキーだ」と言っていましたけど、僕は本当にその通りだなと強く思いました。
■ リラックスや切り替えは?
映画に行くとか、ドライブとか、彼女と過ごすとかもそうですし、サウナや瞑想とかもリラックスの時間になっています。
ただ、僕はここ数年で気がついたんですけど、僕らダンサーは、わざわざ瞑想とかで心を落ち着かせることをしなくてもいいんですよね。ダンスを踊っている時が一番没頭できるから。だから、あんまり気晴らしもいらないし、意外とダンスがリラックスなんじゃないかと思っています。
■ 今後の目標は?
日曜日の公園でラップが流れていて、おじいちゃんと孫が踊っている…みたいに、ブレイキンが普通の文化になっていくのが理想ですね。
もう1つ言うと、ブレイキンは多様性の象徴。オープンマインドになれるツールなんです。ブレイキンを経験した人はどの世界でもやっていける器や包容力を養えると思うので、教育の一側面としても認めてもらって、幅広く浸透させていけたらいいなと願っています。
石川勝之さんが今食べたい菌勝メシ
コメント
栄養が偏らないよう食事を意識しており、きのこは低カロリーで栄養豊富、特に食物繊維が豊富なためお腹の調子をよくするためにも良く食べています。このメニューは疲労回復や体調管理ができ、醤油酢でさっぱりと食べられるところも良いですね。
ひんやり♪きのこと豚しゃぶのサラダ
疲れた時にも食べやすいさっぱりメニュー。きのこに豊富なビタミンB群は糖質を代謝してエネルギーを作ったり、タンパク・脂質を代謝して身体づくりを助けたりします。タンパク質の豊富なお肉と合わせることで栄養バランス満点の一品に!
profile
(B-boy Katsu One)
1981年7月21日生まれ、174cm
公益財団法人「日本ダンススポーツ連盟(JDSF)」ブレイクダンス本部長。神奈川県川崎市出身。
大学進学後に独学でダンスに明け暮れ、長期休みのたびにアメリカやオーストラリアへ赴き、技に磨きをかけた。卒業後はダンスを続け、世界を転戦。2007年にはアメリカで開催された「FREESTYLE SESSION」で優勝。2009年にもW杯と位置づけられる「R-16」の韓国大会で優勝。ブレイキンの世界で頂点を極めることに成功した。
30歳を目前にした2010年、異なる環境を求めてワーキングホリデーでオーストラリアに移住。帰国後、貧困に苦しむストリートの子供たちの力になりたいとブレイキンのイベント企画などを手掛ける「IAM」を設立。途上国の子供たちにダンスを指導するなど、多彩な活動にチャレンジした。
ブレイキンが2018年ユース五輪(アルゼンチン)の正式競技に。JDSFにブレイクダンス部が新設され、初代部長(現本部長)に就任。同ユース五輪で日本代表監督も務めた。
2024年パリ五輪の正式追加種目に選ばれ、現在はさまざまな角度から強化・普及、カルチャーを伝えることに力を尽くしている。
協力:THE DIGEST
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