プロアスリートを支える食事に迫る。第28回 野球・内川 聖一選手インタビュー
2023.03.01明日への一歩を応援する「Do My Best, Go!」。今回は横浜(現DeNA)やソフトバンク、ヤクルトでアベレージヒッターとして活躍し、クライマックス・シリーズや日本シリーズでの勝負強さから“ミスター短期決戦”の異名を持つ内川聖一選手(現九州アジアリーグ・大分Bーリンクス所属)。長く現役を続ける根底にある信念や、食の大切さについてお伺いしました。
まず初めに、内川選手が野球を始めたきっかけを教えてください。
生まれた時から父親が高校野球の監督をやっていたので、どちらかというと野球以外の選択肢がなかった感じですね。とくに両親から別に強制されたわけではありませんでしたが、今思うと、あの環境で他のスポーツをやる選択はなかったという感じでした。
高卒ながら開幕一軍に入って、開幕戦では代走で一軍デビューもされた内川選手ですが、その後、レギュラーを取るまでには時間がかかってしまったとのお話しも。そういうプロの壁にどのように向き合っていたのでしょうか。
正直、そのときは向き合えていなかったですね。ちょっと斜に構えて、直視していなかったところがあったかもしれないです。
プロ入り直後は同年代でも一番試合に出ていたし、1年目に一軍に行ったりしていたり、ずっと自分が1番だったはずが、段々とそうじゃなくなってしまっていました。でも、それを自分のせいだと受け止めていなかったのかなと。怪我も多かったので、本当に全部俺のせいなのかな?と思いながら、モヤモヤした気持ちで野球をやっていました
そうした中で08年に、今も右打者史上最高の打率.378で首位打者になられた。それで翌年には、WBCにも出場。高校時代から憧れていた待望の日の丸をつけた時のお気持ちはどんなものでしたか?
合流して最初はこんなすごいメンバーの中で、俺ちょっとできないなと思いましたね。
イチローさんがいて、福留(孝介)さんがいて、城島(健司)さんがいて、松坂(大輔)さんもいましたからね。一緒に選ばれた亀井(義行)と片岡(治大)と中島は歳が一緒で、野手では最年少組で、特にカメとヤスとは自分たちのことを勝手にBチームって呼んでいました。
僕が行く時は他の3人がBチーム代表として頑張れよって声をかけてくれて、カメとヤスがヒットを打った時は僕もめちゃくちゃ嬉しかった。日の丸の重みはもちろんありましたけど、すごい先輩たちについていくしかないよね、やるしかないよねという思いが大きかったですね。
そのWBCの翌年にはソフトバンクにFA移籍。そして20年に移籍したヤクルトでは、その年にチームが日本一になりました。前年最下位からの躍進ということもあり、内川さんの経験をヤクルトの選手たちに伝えられたことは大きかったのではないでしょうか?
力になれたとは正直まったく思っていないですが、優勝に向かってチームが勝つことで喜びの輪がどんどん広がっていくのはとても嬉しかったですね。僕は二軍でやる機会が多かったですが、最後に二軍でそういう立場を経験させてもらったのは野球人生にとってすごく勉強になりましたね。
今も現役として活躍される内川選手ですが、幼少期や学生時代の食生活で意識していたことはありますか。
当時僕は体が細かったので、まずはどうやって体重を増やすのかを考えて食事をしていました。学校にお弁当を2つ持って行って、朝練で1個食べて、2限目おわりにもう1個食べて、お昼は学食で食べて、練習終わりに購買で買って食べて……みたいな感じでしたね。
プロに入ってからはどうでしたか?
レギュラーを獲るまでは高校時代と同じように、とにかく体を大きくすることを考えていました。空腹状態を作らないよう、常に何かを口にしていましたね。食事のバランスを考え出したのは、レギュラーを取る少し前くらいからでしたね。20代中盤から後半に差し掛かってくると、いろんな先輩の話を聞くようになりましたし、ちょっとずつ意識して食事をとるようになりました。
レギュラーを取るというのは短期決戦ではないので、同じ体調をいかに保つかが一番大事です。体調の良し悪しで欠場してプレーができなかったり、結果が出ないことへの言い訳を作りたくなかったりというのが意識するようになったきっかけでした。
今も現役生活を続けておられる中で、食事で工夫されていることはありますか?
今はどちらかというと体重が増えるようになってきたので、量をしっかり食べることよりも、決まった時間に食べなきゃいけないものを食べるという感覚に変わってきましたね。
きちんとお腹がすいてから食べるようになったというか。これまでは必要に迫られて食事をとっていた部分もあったんですけど、NPBという第一線から退いてそれがなくなったことで、純粋にお腹空いたな、きちんと何か食べたいなと思って食べる生活になりました。
食事も意識されている内川選手ですが、食材としてのキノコの印象について教えてください。
そうですね、しいたけが地元・大分県の名産品でもありますし、鍋に入れたり味噌汁に入れたりするので常日頃からよく口にする食材のひとつです。中でもすき焼きに入っているしいたけやきのこが好きですね。また大人になって、食物繊維の豊富さであったり、腸内環境を整えることであったりとかが今の僕らにとって必要なものだと思っています。食物繊維を取ることで(食物繊維が)水分を吸って膨らんで、それが満腹感にもつながっていくというのを聞いたこともあるので、体重をコントロールするにあたっても大事な食材ですね。
22年10月にNPBからの引退を発表されました。まだ現役は続きますが、NPBでの人生を振り返っていかがですか?
いろんなタイトルや記録を残したと言われますが、終わってみると他人がやったことみたいな感覚ですね。当時はとにかく必死でした。
いま自宅にあるペナントやトロフィーを見て、改めて見ても頑張ったな、すごいよくやったなと思いますが、僕自身が何か評価するというよりは、他の人にすごかったなと思ってくれればそれで良いと思っています。
では、日々スポーツを頑張るジュニアアスリートへのアドバイスをお願いします。
夢に向かって1日1日を無駄にしないことが大事だと言われますが、正直それだけ言われてもどうすれば良いのかわからなくて難しい。小学生がすぐにプロになれるわけではないし、逆にプロになれる年齢になってから頑張り始めても遅いこともあると思います。あいまいなイメージだけで、何となく叶ってしまうものは夢とは言えないのかなと。
まずは今の自分ができる目標はなんなのかを考えて、それに向かって行動していくことが1日1日を無駄にしないということになってくると思います。
僕の場合はプロ野球選手になるための道筋を自分で考えていました。ドラフトにかかりたい、じゃあスカウトに見てもらうにはどうするのか、それなら甲子園は目立つな、甲子園に行くためにどうするのか、そんなふうに逆算して設定した目標を達成していくことが夢を叶えるために必要。ある日、突然ヒットが3割打てるわけじゃないので、自分がコツコツ積み重ねていたものが最後困ったときに力になってくれると思います。
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最後に、ジュニアアスリートへ食事面でのアドバスをお願いします。
まず量を食べること、しっかり食事で栄養を摂ることが一番大事。
そこに今はプロテインだったり、ジュニア向けの栄養講習だったり、ジュニアアスリート用の食事プログラムなどがたくさんありますよね。僕の子供のころにはジュニアアスリート向けのプロテインとかはあまりなかったので、大人用の飲みにくいものを無理して飲んだりしていました。
いまの世代の子供たちには食事をベースにしながら、足りない栄養や自分にとって役立つサプリメントを探したり、考えたりすることはすごく良いことだと思います。興味を持てば持つほどプラスになるものがいっぱいあると知ってほしいです。
内川選手の Do my best,GO!
■好きな言葉、座右の銘はなんですか?
「ブログのタイトルにもしてた『一笑健命』です。笑顔でいるためには健康でいないと、何をするにしてもきつい。命をかけてやっていく中で、それでも笑顔になれるのがいい。そんな意味です」
■これまでの競技人生の中で忘れられないシーンは?
「09年WBCで世界一になった場面と、13年WBCで、最後に自分のミスで世界一を取れなかった時ですね」
■リラックス方法はどんなものがありますか?
「僕は切り替えるのが下手なので、野球のことを常に考え続けることがストレス発散法です。後はゴルフ(笑)」
■これからの目標は?
「いろいろな意味でチームに貢献することです。地元でもありますし」
■内川選手にとって野球とは?
「内川聖一という人間を全部作ってくれたものです」
内川選手が今食べたい菌勝メシ
コメント
毎日同じ体調で試合を迎えるためにも試合前後の食事内容を意識していました。中でもきのこは色々な料理に入っていて、よく口にする食材の一つ。中華料理・豚肉・きのこの組み合わせは食欲がそそられますね。
きのこのスタミナ回鍋肉
きのこや豚肉に豊富なビタミンB1は糖質のエネルギー代謝に関わるビタミンのため、不足するとエネルギー不足や疲れやすさの原因に。ご飯と合わせてしっかり食べることで元気に動ける身体づくりに役立ちます。甘辛味のおかずなので、ごはんもすすみます!
profile
(うちかわ せいいち)
1982年8月4日生まれ
九州アジアリーグ・大分B-リングス所属/右投げ・右打ち/背番号
大分工業高-横浜-ソフトバンクーヤクルトー大分(2000年ドラフト1位指名)
大分工業高では甲子園出場は果たせなかったが、高校通算43本塁打。00年のドラフトでは1位にて横浜(現DeNA)へ入団。08年に右打者史上最高打率の.378で首位打者を獲得してブレイクを果たし、以後は日本を代表するアベレージヒッターとして活躍する。11年にソフトバンクへFA移籍。同年は史上2人目の両リーグ首位打者を達成し、MVPにも選ばれた。18年5月9日の西武戦で通算2000安打を達成。22年限りでNPBからの引退を表明し、独立リーグの九州アジアリーグ、大分B-リングスに活躍の場を移す。
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