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Do My Best, GO! 〜アスリートインタビュー

プロアスリートを支える食事に迫る。第39回 スキー・ノルディック複合 荻原次晴さんインタビュー

2024.02.01
プロアスリートを支える食事に迫る。第39回 スキー・ノルディック複合 荻原次晴さんインタビュー

アスリートへのインタビューを通し、明日への一歩を応援する「Do My Best, Go!」。今回登場するのは、スキー・ノルディック複合で長野オリンピックに出場し入賞、世界選手権で団体金メダルを獲得するなど活躍を続けた荻原次晴さん。活躍の裏にある思いや葛藤、強さを支えた土台となる食への意識などをお伺いしました。

まず、荻原さんがスキーを始めたきっかけを教えてください。

3歳からスキーを始めましたが、ふるさとの草津にスキー場があり、父が元スキー選手だったこと、姉が先にスキーを始めていたことなど、たくさんのきっかけがありました。
その後、小学5年生のとき友達に誘われてスキー・ジャンプを始めました。最初は怖かったんですが、少しずつ楽しさと空を飛ぶ気持ちよさみたいなのを感じていきました。

中学生の頃から全国大会にも出て好成績を残されていましたが、競技を突き詰めていこうと思われたのはいつ頃でしたか?

すごく遅かったです。大学4年のときでした。当時、オリンピックの1992年フランスアルベールビル大会がありまして、兄の健司が団体戦で金メダルを獲ったんです。一躍日本のスポーツヒーローに踊り出て、国民の皆さんが健司の顔と名前を覚えてくれたと思います。我々は双子で顔がそっくりなものですから僕は一歩外へ出ると健司に間違えられてサインや写真撮影を求められました。
その中で、弟と分かってがっかりされてしまうこともあり、それがすごく嫌だったんですよね。当時ちょっと自暴自棄になっていたときもありましたけれども、じゃあ自分に何ができるのかなって考えたときに、やっぱり自分にはスキーしかない。ずっとどんぐりの背比べでやってきた健司がオリンピックに出られたのなら、僕も本気になればオリンピック出られるかもしれないという気持ちになりました。

リレハンメルオリンピックの翌シーズンはワールドカップで表彰台に上がられ、世界選手権団体戦でも金メダルを獲得されましたね。

今思うと、草津の田舎の双子の兄弟が国際大会で1等賞、2等賞、よく獲れたもんだなぁって不思議な感じになります。健司に間違われる悔しさから本気になって再びスキーと向き合って、健司と同じように国際舞台に出るようになってみて、そこは本当に厳しい世界だと思いました。一競技者としてとことんやらないと戦えないとアスリートとしての覚悟のようなものが醸成されていった時期だったなと思います。

その後、1998年の長野オリンピックではついにオリンピックという舞台に立たれましたが、その時を振り返ってみていかがでしょうか。

実はそのときパフォーマンスが落ちており、国民の皆さんが注目する大会で期待に応えられないのではないかという恐怖感がずっとありました。
しかし本番はもう開き直りました。個人戦のスキー・ジャンプのときは今までにないぐらい緊張して、いちかばちかのチャレンジみたいな気持ちで空中に飛び出したら、練習ではできなかったジャンプを2本そろえることができました。
そのときに感じていたのが喜びはなくて、発見というか学びというんでしょうかね。気持ち一つで人はこんなに変われるんだ、なんで今までこのぐらいの集中力でやってこなかったんだろうという反省の思いもありました。

そのジャンプでは日本勢トップの3位、後半のクロスカントリーを終えて6位入賞を果たしました。クロスカントリーでは健司さんと競り合う場面もありましたね。

我々は双子である、健司がいれば次晴もいる。私は健司の偽物ではないしがっかりされるものでもないし嘘もついてない、それを知ってもらうには健司が一番注目されるステージに一緒に上がって一緒に競い合う姿を国民の皆さんに見ていただくしかない。

そのステージやっぱりオリンピックであるとずっと考えていました。それが実現して、健司に追い上げられて競技者としては負けるわけですけれども、僕のことも認知してほしい、僕も存在していることを知ってほしいという思いがかなったので、やっぱりうれしかったですね。

長野オリンピックのシーズンをもって引退されましたが、健司さんはどういう存在だったでしょうか。

私に限ったことではなく、兄弟の存在がすごく気になるときはありました。でも振り返ると健司がいたからこそ、いつもすぐそこに競争があって自分自身も成長できて、健司が頑張ってオリンピックに出た姿を見せてくれたからこそ、僕自身もオリンピックというとんでもない大きな夢を持って出場できた。それがまさに今の私につながっているので、健司がいてよかったなぁと思うことはよくあります。

長い競技人生では食も大切だったと思いますが、意識していたのはどのような点でしょうか。

今のアスリートたちのように食事管理の重要性が少しずつ認知されるようになったのは選手の晩年ぐらい頃でしたから、そんなに徹底された感じではなかったですね。ただ、ノルディック複合は激しいスポーツでカロリー消費が大きかったので食事は好きなものを好きなだけバランスよく食べるようにしていました。

試合前は消化に負担のかからないように脂っこい食事は避けるようにしたり、炭水化物をしっかり摂りグリコーゲンを体内に蓄えるカーボローディングを実践したりしていました。また、試合の3時間前くらいには食事や軽食を摂りレースに影響しないようにしていました。

バランスよく食べていたという事ですが、「きのこ」も栄養価の高い食材の一つ。食材としてのきのこの印象や思い出などがあれば教えてください。

きのこ、好きですね。私はふるさとが群馬の山の中なので、春は山菜、秋はきのこが身近にあり、小さい頃から自然にきのこを食べていました。スキーのトレーニングが終わって体が冷えて家に帰るとお袋が作ってくれたきのこの味噌汁とかめちゃくちゃうまくて、思い出の味になっています。

今ではうちの妻が家族の食事を作ってくれますけれども、きのこを使った料理は多いと思います。この季節は鍋の季節でもありますけれど、キムチ鍋とか味噌味とか醤油味とか、スープは変わってもきのこは必ず入っている印象がありますね。エリンギをスライスしてシンプルに焼いて塩だけふって食べるのもうまいですよね。あとは舞茸の天ぷらや舞茸のバター醤油炒めもたまらないですね。

荻原さんが食べたい菌勝メシはこちら>

きのこは腸内環境を改善する働きもありますが、腸について意識はされていましたか?

選手時代、腸内環境について意識したことはありませんでしたね。引退した今の方が「健康」について考えることが多くなり、自分の健康は家族のためにも大事だと感じています。妻も家族の健康を考えて毎日食事を作ってくれていて感謝です。

では、スキーに限らずスポーツに励んでいる子どもやジュニア選手に向けてアドバイスをいただければと思います。

偉そうなことは言えないですが、やっぱり「継続は力なり」という言葉があるように、とにかく続けることです。なぜ私がオリンピックまで行けたかというとスキーを続けていたからなんです。

子どもの頃スキーをやっている友達はいっぱいました。僕よりも上手な友達はいっぱいました。でも様々な理由で1人やめ2人やめ、あたりを見ますと誰もいませんでした。ある意味、それは僕がやり続けていたから、最後に残ってどうにか代表になれた。辛いときもあるとは思いますが、続けているうちに、自分が思ってもないようなすごい出来事が訪れるような気がします。続けることが一番大切なことじゃないかなと思っています。

きのこらぼ限定公開 INTERVIEW

最後に、ジュニアアスリートへ食事面でのアドバイスをお願いします。

食事はアスリートにとってのガソリン、燃料ですので、やっぱり好き嫌いなくバランスよく食べることが大事だと思います。あとは競技前に消化に負担のかかるものを食べてしまうとそちらにエネルギーを取られてしまいますので、栄養士の方や指導者の方、同じ競技をしている選手にどんなものを食べたらよいか質問して、親御様といっしょに取り組めたら良いなと思います。

荻原 次晴さんの Do my best,GO!

■好きな言葉、座右の銘
「本気は本物か」
これはうちの兄の健司もよく言っていた言葉なんですけれども、選手時代も、そして今も自分が競技また仕事に向かう時の気持ちを確認する言葉というか、自分を律する言葉として常に胸の中にあります。

■忘れられないシーンや大会
健司とともにワールドカップで1位、2位を独占できた時、あとは長野オリンピックで日本中の皆さんに応援していただいて大歓声に包まれた時がすごく思い出に残っています。

■リラックス方法
音楽が大好きです。現役のときは、DJが趣味でしてレコードをターンテーブルや機械を並べてスクラッチといってレコードを擦ったりする音楽の楽しみ方を学生時代からやっていました。当時はまだカセットテープの時代で、自分でミックスしたものをテープに収めてそれを海外遠征に持って行ったりしました。今はそういった機械は全部実家の倉庫に片付けてしまいましたが、やっぱり今でも音楽聴くのが自分のリラックスとかになります。
あとは趣味の登山ですとか。サーフィンに出かけることも、リフレッシュ方法ですね。

■これからの目標
難しいですね。長野オリンピック以降の冬のオリンピックは全て現地に取材に行かせていただいているので、次の26年イタリア大会も現地に取材に行きたいと思っています。その取材に行くために日々の行いが積み重なっていくものだと思うんですよね。2年後に取材をするために今日なにができるのか、先ほども申し上げましたが「本気は本物か」と妥協のないようにベストを尽くせるかっていうのをいつもテーマにやっています。
もうひとつ、札幌冬季オリンピックが招致から降りてしまいましたけれども、38年とか可能性としてはそのあたりで札幌市にまた招致運動すれば来る可能性は高いと思います。やっぱり今地球の気候が変わってしまったことで、冬のオリンピック開催できる場所が世界でも限られていますので、札幌市はすごくいい環境なので、仮に38年大会が開催されたとき私も何歳になっているか、ちょっと見当もつきませんが、また日本で行なわれるオリンピックに携われるよう健康で元気で若々しくいたいと思っています。

■荻原さんにとってスキーとは
難しいですね。質問をいただいてからずっと考えたんですけど、私にとってスキーは自由な自分になるため手段でしょうか。選手時代は競技で成績を残すことが目標でしたのであまり自由っていうのは感じませんでした。でも、競技から離れて自分で好きなように滑っている時っていうのは、子どもの頃そうだったように心が開放されて自由な気持ちになれる。子供たちと一緒にゲレンデを滑ることがありますけれども、やっぱり子供たちと滑りながら自分もスキーのおかけで自由になっていると感じて心が開放される感覚があります。

荻原 次晴さんが今食べたい菌勝メシ

コメント

現役時代はカロリー消費が激しかったので、栄養バランスも考えながら、まずはエネルギーをしっかりとることを意識していました。きのこは食物繊維やビタミンが豊富で健康維持に良いイメージがあるので、きのこがたっぷり入ってピリ辛でニンニクが香るパスタは運動の前にも後にもぴったりですね。

きのこのパスタ

きのこには糖質の代謝を助けるビタミンB1が豊富なので、パスタと合わせれば効率の良いエネルギーチャージが叶います。また、にんにくのアリシンはビタミンB1の働きをサポート!試合前にも試合後にも食べやすいシンプルな味付けです。

詳しく見る>

profile

荻原次晴

(おぎわらつぎはる)

1969年12月20日生まれ、群馬県吾妻郡草津町出身
幼少期にスキーを始め、小学生のときにスキー・ジャンプ、中学入学後にノルディック複合を始める。双子の兄の健司とともにスキー・ノルディック複合の日本代表として活躍。
1998年に長野オリンピックに出場、個人6位、団体5位入賞。また1995年世界選手権では団体金メダル、ワールドカップでは2度表彰台に上がっている。1998年に引退。スポーツキャスターをはじめ各メディアで活躍するほか、スキーの普及活動にも携わる。

協力:THE DIGEST

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