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Do My Best, GO! 〜アスリートインタビュー

プロアスリートを支える食事に迫る。第36回 ハンドボール・土井レミイ杏利選手インタビュー

2023.11.01
プロアスリートを支える食事に迫る。第36回 ハンドボール・土井レミイ杏利選手インタビュー

アスリートへのインタビューを通し、明日への一歩を応援する「Do My Best, Go!」。今回は東京2020オリンピックにおいてハンドボール日本代表のキャプテンを務め、現在はジークスター東京でプレーする土井レミイ杏利選手。ハンドボールを始めたきっかけや学生時代、日本代表で感じた思い、食事への考え方、今後の目標などを伺いました。その話には土井選手の一貫する哲学がありました。

まず、ハンドボールを始めたきっかけを教えてください。

小学生3年生の時、兄と妹が所属するハンドボールの練習に参加したことがきっかけでした。もともとドッジボールっ子で、ボールを投げることに関しては得意でしたが、初めて試合形式の練習に参加した時、1点も取れなかったんです。それがすごく悔しくて。でも、ボールをたくさん投げられるのが楽しくて、その後の練習試合で初めて点を取った時のことはよく覚えています。涙目になりながら喜びました。

当時は週に1回しか練習がなく、進学した中学校もハンドボール部は同好会のような存在だったと伺いました。練習したくてもできないもどかしさはありましたか。

やっぱり毎日やりたかったです。でもそのぶん、逆にハンドボールに対する思いは強まった気がします。当時、もし毎日厳しく練習をさせられていたら、もしかしたら嫌いになったかもしれないですし。そうではない環境だったからこそ、のめり込めたのかもしれません。

高校は名門・浦和学院高校に進まれました。この頃から「オリンピック出場」という目標を掲げていたのでしょうか。

「オリンピック出場」というのは、小学校の卒業文集で書いた目標でした。浦和学院は関東圏内の強豪で、毎日がめちゃくちゃ楽しかったです。
高校時代って、みんな遊びたい時期。でも、僕はその時間をどう過ごすかですごく差ができることが分かっていたので、全力でハンドボールにのめり込んで、夢中になって、それで3年間過ごした結果、ハンドボール日本最高峰の大学に入れました。それが今の自分に至っているので、高校時代の意識はすごく大事だったと感じています。

高校卒業後は日本体育大学に進まれますが、大学4年時に膝のけがを負い、一度、ハンドボールを辞めることを決断されます。その時を振り返っていかがですか。

簡単なことではなかったです。でも、ハンドボールが好きだからこそ、中途半端に続けたくはなかった。きっぱり辞めるという決断に未練はありませんでした。

そしてハンドボールから離れてフランスへ語学留学に行かれますが、その時、再びハンドボールをする機会が訪れます。当時のことを教えてください。

留学先にフランスのシャンベリを選んだのは、フランス代表で世界的に有名なハンドボーラーであり、日本の実業団でもプレーしたステファン・ストックランの出身地だったからです。シャンベリにあるシャンベリ・サヴォワ・ハンドボールというチームは、ハンドボール人気の高いフランスの中でも、チャンピオンズリーグの常連のような強豪。平日は勉強して週末に試合が見られたらいいなという感じで選びました。そうしたら膝が治った。プロチームには下部組織がたくさんあるので、どのカテゴリでもいいのでプレーさせてください、と直談判しに行きました。

そこで、トップチームのひとつ下、フランスリーグでいうと3部リーグ所属のチームに入りました。毎日練習に参加していたら、監督の方から「試合に出てくれ」とお願いされて。もうシーズンの半分ぐらい過ぎていたのですが、そこから試合ですごく活躍できて有名になっていくうちにトップチームからプロ契約の話がきました。想像していなかったので驚きましたが、プロになるチャンスなんだから挑戦しようと決めました。

ハンドボールの本場・フランスで活躍し、喜びも苦しみも味わった土井選手ですが、幼少期から、失敗から学び、成功するための道筋を見つける習慣を身につけていたと伺いました。

子どもの頃に親に「教えて」って聞くと、「じゃあ見せてあげるから真似して」って返されるんですね。見て真似をするということは、まず観察力が鍛えられる。そして最初は絶対に失敗する。でも失敗しても教えてくれないから、自分で考えるしかない。自然と僕は幼い頃からトライアンドエラーをやってきて成功に結びつけていたんです。

すべてにおいてチャレンジすることは、僕の中では当たり前のこと。失敗を怖れる人がいますが、怖いのは別に失敗そのものではないんですよね。失敗した先の「他人からの評価」が怖い。自分の部屋に一人でいて、何かに挑戦して失敗しても何も怖くないじゃないですか。周りに人がいる状況で挑戦すると怖くなる。僕は幼い頃からそんなことを気にせず、“失敗をしなきゃ成功しない”ことを経験してきたので失敗することは全然恥ずかしいことじゃないんです。

観察しながらトライアンドエラーを繰り返し、状況を改善していく土井選手の考えは、ハンドボール以外のすべてのことに適用できると思います。例えば食生活でもそれは活かされていますか?

そうですね。意識しているのはバランスよく食べることです。もちろん、昔から嫌いなものもありました。でも、その都度挑戦してみる。もしかしたら好きになっているかもしれません。苦手な食材でも一度、口に入れてみるというのは昔からずっとやっています。

どんな食材が苦手だったのでしょうか?

以前はトマトやオリーブなど野菜が苦手で、豚肉とも好きではなかったです。でも今は全部大好きになりました。今では好き嫌いはほとんどありません。

逆に好きな料理や食材はありますか。

日本であればオーソドックスですが焼肉であったり、カレーであったり。フランスではチーズ料理。留学していたシャンベリはチーズが有名な地方だったので、ラクレットやチーズフォンデュを好んで食べていました。苦手だったトマトも今では大好きで、カプレーゼを自分で作って食べています。キノコもすごく好きですよ。

キノコは最初から好きでしたか?

はい。お父さんがピザ屋をやっていまして。そのピザのメニューの中に椎茸とハムのピザがあるんです。それが好きだったのがきっかけかもしれません。

特に好きなキノコはありますか?

幼い頃からあらゆる種類のキノコを食べていました。今も手頃で手に入りやすいエリンギやマイタケ、シイタケをスーパーで買ってよく食べています。たまにアヒージョを作ったり、あとバターと醤油であぶって食べたりするだけでもおいしいですよね。串焼き屋さんに行ってもキノコを頼んでいます。キノコの天ぷらでも好きですし。また、料理とは少し違うかもしれませんが、トリュフ風味の料理が好みです。

キノコは低カロリーで栄養価が高く、アスリートにも人気の食材です。

栄養価でいえば、キノコとブロッコリー、そしてビタミンAの部分でニンジン。この3つを食べていればすべてを補完できると考えています。ブロッコリーとシイタケをごま油で炒めて、ソテーみたいにして食べるだけでめちゃくちゃおいしい。少し塩気が足りなければハムを加えてもいいですし、簡単にできるソテーでもかなり栄養価が高いので好んでよく食べています。

栄養バランスを学んだりはしているのですか?

自ら意識して取り組んだことはありませんが、代表活動をしていた時は、栄養士さんが帯同していたりするので、何が大事なのか質問したりしています。考えるベースとして知っておきたいので。

年齢を重ねることで食事量や意識する栄養素に変化はありましたか?

以前に比べ胃もたれするようになってきたので、脂っこいものが少し食べづらくなってきたかなという感じです。僕は食べないとどんどん痩せていってしまう体質なので、学生時代は毎食ご飯大盛り3杯、1日6000kcalは食べていました。ハンドボールはコンタクトスポーツなので、ある程度の身体の大きさ、筋肉、脂肪が必要なので食べて身体を大きくしなければいけません。ポジション的にはそこまで大きくなくてもいいのでまだ助かってはいますが、痩せないように今も頑張って3000~4000kcalは取るようにしています。代表でも2番目に多く食べていました。でも、その量に胃が耐えられなくなってきた分、よりバランスを意識しています。

フランスでは6シーズンを過ごされ、2017年シーズンには『ハンドスターゲーム2017』で外国人国籍選抜チームとして、日本人ハンドボーラー史上初のオールスター出場も果たすなど大活躍されましたね。日本代表へは2016年から選ばれ、東京2020オリンピックではキャプテンも務められましたが、土井選手のキャプテン像とはどのようなものでしょうか。

キャプテンシーといっても人それぞれです。リーダーの形に正解はありません。その時々のチーム、メンバーに合わせて、導いていくやり方を変えていかないといけないとも思います。僕はどちらかと言うと、引っ張るよりも導くタイプ。ボートレースに例えると、みんなでボートに乗って漕ぐ際に、一番速く進む方法はみんなが同じタイミングで漕ぐことです。後ろから見ていれば、タイミングがズレてる人がいればわかる。そういう状態の人は、メンタルが不調になって力が出せなくなっている。チームの中でその異変にいち早く気づいて話をして、メンタルの調整をして、チームと同調してまた前に進んでいくようにする。このように、チームの一番後ろに立って観察し、軌道修正していくのが僕のリーダー像です。よく「キャプテンがチームを引っ張る」と言いがちですが、引っ張るのはエースがやることであってキャプテンではないのかなと。

そして迎えたオリンピック。重圧は相当なもので、ポジティブで明るい土井選手が部屋で震えていたと伺いました。

日本へ帰ってきた時、誰も本気になって日本のハンドボール界を変えようとしている人がいなかったことに衝撃を受けて、誰もやらないのであれば自分でやろうと覚悟を決めてやってきました。こういう重圧が待っているのは予想していたし、あとはそれに向き合うのみだったのですが…。でも、それを乗り越えるといつも以上に燃えた状態で試合に臨むことができて、良いメンタルで大会に臨めたと思います。

結果は1勝4敗でグループリーグ敗退。目標だったオリンピックの舞台へ実際に立った時はどのような感情が訪れましたか?

「感謝」の気持ちが最も強かったです。目標とするところ(ベスト8)には届きませんでしたが、ヨーロッパ勢に1勝することができました。決勝トーナメント行けなかったので、あまり注目されていないですが、日本のハンドボールにおいて大きなことは成し遂げられたと思います。最後の試合、3点差で勝てば決勝トーナメントに進出できる本当にギリギリの状況で届かなかった。もちろん悔しくないかと言われたら悔しいですけど、僕は本当にすべてを出し切ったつもりでいるので、一切悔いはないです。

では、高みを目指すジュニアアスリートたちにアドバイスをお願いします。

努力しないことです。もし今取り組んでいるスポーツを辛いと思っているとしたら、その時点であなたに向いていません。本当に夢中になれる対象を見つけてほしいですね。本当に夢中になれば、周りから見れば努力している姿も、本人にとっては楽しみでしかないはずです。そしていずれ必ず失敗することがありますが、その失敗すらもむしろ楽しみ、苦しい時ほど楽しむことができれば、おそらく成功すると思います。

きのこらぼ限定公開 INTERVIEW

最後に、ジュニアアスリートたちに、食事面のアドバイスをお願いします。

僕が気をつけていることと同じで、バランスをよく食べる意識と、嫌いなものから逃げないで挑戦し続ける気持ちが大事かと思います。挑戦し続ける気持ちは競技にも通じます。食事も競技も自分ができないことに対して逃げるのではなく、向き合ってできるようになろうとする気持ちをベースにしてもらいたいです。

土井選手の Do my best,GO!

■好きな言葉は?
「無知の知」です。ソクラテスの言葉なですが、自分が愚かであることを知りて一歩目、ということです。自分が何において足りてないのか。そこにまず気づくこと。その気づきがない限り、人は一歩目を踏み出せません。常に自分を観察し周りを観察して、比較、分析をすることで、必要なものややるべきことを見極めて進んでいく。この一歩目の気づきがない限り何も成長できません。だから僕は常に観察を続けて、自分を築こうとしている毎日を過ごしています。

■競技人生の中で忘れられないシーンは?
オリンピックです。ずっと目標にしてやってきましたし、小学校の卒業文集にも「オリンピックに出ることが目標です」と書いていましたので。無観客で終わってしまったことは残念ですが、目標を実現できた点は一生忘れられない思い出になりました。嬉しさや誇らしさなど、様々な感情が沸き起こりましたが、一番は感謝の気持ちが大きかったです。コロナ禍で開催されたことでチームも様々な苦労もありましたし、運営側もかなりの苦労があったと思います。ボランティアの方も含め、多くの方の努力のおかげで自分が目標としていたコートに立てました。本当に感謝です。

■リラックスや切り替え方法は?
瞑想します。基本的に集中したい時、脳疲労がたまっている時などにします。僕は常に自分の身体をスキャニングしていて、必要な時は呼吸に集中を傾けて頭を空っぽにすることにしています。あと、僕は基本的にコートから離れたら、ハンドボールのことは一切考えないようにしています。自分がやっていることにとらわれ過ぎると、視野がすごく狭まってしまうので。すると、悩み始めた時に意外と解決策が見つからなかったりするものです。僕は好きな物事に対してまっすぐフレッシュな気持ちで向き合っていきたい。なので、ハンドボールで悩んだら休みをとって旅行へ行って好きなことをする。すると、またハンドボールをやりたいと思えるようになる。その前向きな気持ちを維持することを優先しています。気分転換も含め視野を広げて生活することは、ハンドボールにも活かされ、この先の長い人生の準備にもなります。そのことに気づいているので、ずっと続けています。

■今後の目標は?
ハンドボールにおいては、今所属しているジークスター東京で日本一になることが最後の目標です。人生においては、まずは引退した先の人生設計をしっかりすること。その先にある目標として、大好きな人達と一緒に幸せな日々を過ごすことです。時間を共有できる仲間と世界を見て周りたいです。まだ未来ははっきりしていませんが、やりたいことがなくて悩んでいるのではなく、ありすぎて困っています。決まっているのは、何をやることになっても楽しく生きていくことに変わりはありません。

■土井選手にとってハンドボールとは?
よく言うのですが、テレビゲームみたいなものです。「努力」という言葉があります。もしその意味が「歯を食いしばって辛い状況でも耐えて頑張ること」だとすれば、僕はハンドボールにおいて努力をしたことありません。テレビゲームを全部クリアして、めちゃくちゃ努力した、と言う人はいませんよね。それはなぜかというと、夢中になって楽しいからです。つまり、自ら能動的にやりたい気持ちでやっている限り、努力している自覚は生まれてこないんです。僕にとってハンドボールもそうです。いくら一人で居残り筋肉トレーニングしようが、朝早く起きて一人で朝練やってようが、周りからしたら努力に見えるかもしれないですけど、本人にはその感覚が一切ないんです。だから、僕にとってハンドボールはテレビゲームみたいなものなんです。

土井選手の今食べたい菌勝メシ

コメント

食事の時は食材や栄養のバランスを大事にしていて、きのこは味や食感が好きなのでよく食べています。このメニューはきのこ、野菜、肉、卵、チーズと具材が豊富で栄養満点なので、試合後のリカバリーはもちろん、試合前のエネルギーを蓄えたい時にもぴったりなメニューですね。

きのこで骨太!チーズ焼きカレー

きのこに豊富なビタミンDは、カルシウムの吸収を高めることで丈夫な骨づくりに役立ちます。カルシウムの豊富な牛乳やチーズ、筋肉や骨の材料となるタンパク質の豊富な牛肉や卵と合わせることで、身体づくりを応援します。

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profile

土井 レミイ 杏利

(どい れみい あんり)

浦和学院高校-日本体育大学-シャンベリ・サヴォワ-シャルトルMHB28—大崎電気OSAKI OSOL-ジークスター東京
フランス人の父と日本人の母の間に生まれ、小学3年生の時にハンドボールを始める。全国でも屈指の強豪校である浦和学院高校へ進学し、大学は全国トップの日本体育大学へ。その後、膝の怪我をきっかけに大学卒業と同時に競技を引退。語学留学を目的にフランスへ渡るが、再びハンドボールの世界へ。フランス1部リーグに属するシャンベリ・サヴォワ・ハンドボールのセカンドチームの練習に参加。同チームはわずか数カ月でトップチームへ昇格し、これを機にプロ契約。その後、2019年シーズンまでの6シーズン、フランスで活躍。2019年7月より日本ハンドボールリーグに所属する『大崎電気OSAKI OSOL』にてプロ契約し2年間プレー後、2021年5月に現所属の『ジークスター東京』へ移籍。東京2020大会ではキャプテンを務めた。オリンピック後、現役日本代表を引退。ハンドボール以外では、多彩な才能を発揮し、ダンス・楽器演奏・マインドフルネスなど様々な趣味を持つ。さらに、ショートムービーアプリ『TikTok』では700万人を超えるフォロワーを持ち、TikTokクリエイターとしても注目を集めている。

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