プロアスリートを支える食事に迫る。第57回 陸上競技・飯塚 翔太選手インタビュー
2025.08.01
アスリートへのインタビューを通し、明日への一歩を応援する「Do My Best, Go!」。今回登場いただくのは男子短距離種目でオリンピックに4大会連続で出場している飯塚翔太選手です。
ロンドン五輪の男子4×100mリレーで4位入賞を果たすと、リオ五輪は同種目で銀メダルを獲得。東京五輪とパリ五輪には男子200mに出場。34歳となった現在も自己ベスト(20秒11)の更新を目指している飯塚選手。その土台となる食への意識やこれまでのキャリア、今後の展望などをお伺いしました。
まず、陸上競技をはじめたきっかけを教えてください。
小学校3年時に出場した小さな競技会の100mで優勝して、クラブチームに勧誘されたのがきっかけです。「とりあえず練習に行きます」と一度行ったら、それが面白くて夢中になりました。
中学時代はジュニアオリンピックのDクラス100mとAクラス200mで優勝されています。当時からオリンピックを意識されていたのでしょうか?
そうですね。中学生の頃から「オリンピックに出たい!」と思っていました。ただオリンピックはそんなに観ていなくて、記憶として残っているのが、2005年のヘルシンキ世界陸上です。サインをもらったこともあって、澤野大地さんの棒高跳びが凄く印象的でした。
その後、静岡・藤枝明誠高校ではインターハイ200mや国民体育大会100mで優勝されました。高校でさらに飛躍された印象を受けますが、どんな3年間でしたか?
高校時代は故障が多く、リハビリ期間が長かったので、その時間でトレーナーさんから身体の動きなどを学べたことがプラスになったと思います。また自分の持ち味である「リラックスした走り」の原点は高校時代にあるんです。顧問の先生が「本気で走るな」というスタンスで、練習でも基本、タイムを計りませんでした。タイムを狙うと力むので、「8割」の感覚がちょうど良い力の入り方になると教わったんです。
中央大学へ進学後も活躍を続け、3年時(2012年)の日本選手権(100m4位、200m2位)によってロンドン五輪代表に選出されました。そのときのお気持ちを教えてください。
監督からの電話で知りました。寮にいたときに「決まったよ」と言われて、その場でガッツポーズをして、「オッシャー」と叫びました。とにかく、うれしい気持ちで一杯でしたね。憧れの舞台にチャレンジできるというワクワクした気持ちでした。
そして念願のロンドン五輪では200mと4×100mリレーに出場されました。初めてのオリンピックはいかがでしたか?
個人の200mは何もできなかったという印象です。狙っていたタイムで走れず、20秒81の5着で予選落ちしました。当時の強化委員長だった高野進さんから「1回目はこんなもんだよ」と言われたのをよく覚えています。ウォーミングアップ場の有名選手を観客みたいな気持ちで眺めてしまい、勝負する気持ちを出せなかったのが良くなかったと思います。
その後に4×100mリレーがあったんですけど、予選は通過ギリギリラインでアンカーの僕にバトンがまわってきました。抜かれたら落ちるという状況で、頭が真っ白になって、ほとんど記憶なくゴールまで走ったんです。その時のパフォーマンスが凄く良くて、無心で必死に走るのが大事だと気づかされました。

そこから国際経験を重ねて迎えたリオ五輪は4×100mリレーで銀メダルを獲得されました。予選からアジア記録を更新する走りで、メダルの期待感も大きかったかと思いますが、決勝はどのような気持ちで迎えたのでしょうか?
リレーのメンバー候補が5人いて、全員が自己ベストもしくはそれに近い記録を出していて、今までにない状態だったんです。年齢が近くて仲も良く、バトン練習は意見を出し合って技術を向上させてきました。予選でアジア記録を出したことで決勝前のウォーミングアップでは強豪国の選手たちからの視線を感じて、さらにスイッチが入ったんです。
決勝では2走の僕がバトンを受けたときに、中指と薬指の間にバトンが入るミスがありました。でも山縣亮太君と息を合わせて、どうにか受け取ると、3走・桐生祥秀君が追い上げて、アンカーのケンブリッジ飛鳥君にバトンが渡ったときはトップだったんです。あの瞬間は過去一番の興奮でした。チームが2位か3位でゴールしたのが分かったので、モニターに「2位」と表示されたときの高揚感は凄かったですね。半分「夢」で半分「現実」みたいな感じでした。
その後は東京五輪・パリ五輪でも200mに出場して、4大会連続のオリンピック出場を果たしました。活躍を続けるために変化した部分や新しく取り入れたことがあれば教えてください。
僕は常に試行錯誤を続けてきました。「走り」は正解がありません。自己ベストが出ても、翌年はその走りが通用しなくなることがあるんです。そのため自分の走りは毎年変わっていますし、練習内容も変えています。それがここまで向上できた要因だと思います。
常に試行錯誤して「引き出し」の数を増やしておくことで、不調からの脱出も早くなります。あとは常に闘争心を燃やし続けることです。5月の静岡国際で鵜澤飛羽君が日本記録に近いパフォーマンスをしました。若い世代の成長を感じてうれしさもあるんですけど、とても悔しかったですね。僕の同年代はほとんど引退していて、彼らの分も自分が頑張りたいなと勝手に思っています。

ここからは、食事について伺います。中学生のときには身長が 180㎝近くあったそうですが、子どもの頃の食生活について教えてください。
食事に関しては親が厳しかったので、「嫌い」とか「美味しくない」と言えないような雰囲気でした。それで頑張って食べているうちに、好き嫌いなく食べられるようになった感じです。小学1~2年生のときは給食に慣れず、コッソリ持ち帰った記憶もありますが、3年生くらいからは2割増しくらいで食べていたと思います。
現在、アスリートとして食事に求めていること、体調管理で気をつけていることを教えてください。
ちゃんとバランス良く食べることですね。意識しているのは、いろんな色(の食材を)を摂ることです。またタンパク質は不足しがちなので、多めに摂る意識をしています。あとは食べるタイミング。お腹が空いている時間ができるだけ少なくなるように、補食でカバーしています。朝食は起きてすぐではなく、30分ぐらいしてから食べて、練習後はできるだけ早めに食べる。夜は消化を考えて、寝る2時間半くらい前までに食べ終わるようにしています。
これまでに栄養や食事について学ぶ機会はありましたか?
基本的な栄養講習はジュニア時代から強化合宿などで受けてきました。また個人的に知り合いに聞いたりすることもありまし、自分で調べたり、勉強しています。
現在きのこを意識して食べられているとのことですが、昔から好きでしたか?
子どもの頃からきのこをよく食べていましたし、好きでした。食べ方は、ソテーなどシンプルなものが多かったと思います。
きのこは疲労回復に使える食材のイメージなので摂取するように考えています。また代表合宿などで行なわれる研修ではきのこを摂るようにと良く言われますね。
ご自宅や外食の際によく食べるお気に入りのきのこ料理はありますか?
今もソテーが好きですね。特にエリンギと舞茸。自分で調理もしますけど、一緒にソテーして食べています。あとは炊き込みご飯やパスタにもきのこはよく入れていて、炊き込みご飯にきのこを使うと多く食べられるので好きですね。カルシウムを(効率よく)取るためにクリームパスタにきのこを使うこともあります。
ここまで食事についてお伺いしてきましたが、マスターズなど大人になって陸上競技を始める方や続けている方もたくさんいます。第一線で長く活躍を続けている飯塚選手のご経験から競技を続けるために大切なことがあれば教えてください。
まずは試行錯誤することを大事にしてほしいですね。あとは自分のデータをとることです。僕はスマホのエクセルに日々の練習メニューと感想を書き込んでいます。試合時はより細かい情報も入れていて、それがデータとして蓄積されることで、体調を崩したときも対処法のヒントになったりします。
では、ジュニアアスリートへ向けて、競技に必要な考え方や練習への向き合い方などがあればアドバイスをお願いします。
ジュニア世代も結果を求められると思うんですけど、まずは向上心を持って取り組み、目標に向かって頑張ってほしいですね。結果が出なくても、チャレンジする気持ち、探求心は身につきます。それは社会人になってからの武器になるはずです。あとチームで練習していると思うので、自分が大変なときはひとりで抱え込まず、チームメイトに頼って、やる気や元気をもらえるといいかなと思います。
最後に、ジュニアから大人まで、世代を問わずスポーツを頑張っている人に向けて食事面でのアドバイスをお願いします。
食生活は子ども時代の環境で作られるので、ジュニア世代から食事に気をつける習慣を身につけた方がいいですね。僕は苦手なものは細かく砕いて食べるスタンスです。大人の方も苦手な食材は工夫して食べて、バランスのよい食事を心がけてほしいと思います。
飯塚選手が今食べたい菌勝メシ
コメント
色の違う食材をたくさん取ることを一番に意識しながら、身体に良い栄養のある食事を心掛けています。きのこは疲労回復に使える食材のため意識して料理に使うようにしていて、きのこやお肉の入ったカレーは夏の栄養補給にもぴったりですね。

きのこカレー
きのこには、エネルギーの素となる三大栄養素の代謝に欠かせないビタミンB群が豊富なため、ごはんと合わせることでパワーチャージや身体づくりを後押し!また、きのこに豊富な食物繊維は、免疫を司る腸を整えることで体調管理を応援します。
profile
(いいづか しょうた)
1991年6月25日生まれ、静岡県御前崎市出身。中央大学卒、ミズノ所属。
小学3年生から陸上競技を始めて、中学校時代から全国大会のタイトルを獲得。藤枝明誠高校3年時はインターハイ200m、国民体育大会少年男子A100mで優勝した。中央大学では1年時に世界ジュニア選手権大会の200mで金メダルを獲得して、「和製ボルト」と呼ばれるように。3年時はロンドン五輪に出場して、アンカーを務めた4×100mリレーで4位入賞を果たす。ミズノ入社後、リオ五輪は200mで準決勝に進出して、2走を務めた4×100mリレーで銀メダルを獲得した。その後、東京五輪、パリ五輪にも200mで日本代表となり、オリンピックは4大会連続で出場中。200mの自己ベストは20秒11。34歳になった今季は自己ベストの更新と東京世界陸上の出場を目指している。
協力:THE DIGEST