プロアスリートを支える食事に迫る。第65回バドミントン・高橋 礼華さんインタビュー
2026.04.01
明日への一歩を応援する「Do My Best, Go!」。今回は2016年リオデジャネイロ五輪でバドミントン女子ダブルス金メダル獲得という偉業を達成した「タカマツペア」の高橋礼華さんが登場。バドミントンを始めたきっかけやこれまでのキャリアの転機、リオ五輪までの道のり、そしてアスリートの食生活まで、幅広くお話しいただきました。(※「高」は正式には「はしごだか」となります)
まず、高橋さんがバドミントンを始めたきっかけを教えてください。
母がママさんバドミントンをやっていたので、それについていくうちに自然とラケットを握るようになりました。幼稚園の頃くらいだったと思います。本格的にクラブに入ったのは小学校1年生の時。母がコーチしていたクラブで妹と一緒に指導を受けるようになりました。
本格的にのめり込んだ理由は何だったのでしょうか。
小学校低学年からピアノ、公文、水泳、それとバドミントンを習っていて、4年生のときに全国小学生大会で優勝したのをきっかけにバドミントンと公文だけにしました。バドミントンは勝ったり負けたりすることが明確にあって負けたら悔しいけど、それが面白かった。性格的にも勝敗がつく方が自分に合っていましたし、モチベーションにもつながっていたと思います。
バドミントンの競技性に魅力も感じられていたのですね。
そうですね。でもラケットを握り始めたころはシャトルに全然当たらなくて。それが当たるようになった瞬間の感動は今も忘れません。
ラケットを振るシンプルな競技というイメージが多いかもしれませんが、体力的にもハードで、俊敏性や走力がないと戦えない。レベルが上がるにつれて、全身を使わないと勝てないと痛感しました。だから色々な練習方法にも取り組みましたし、新しいチャレンジができることも楽しかったですね。
ハードルが高いからこそ、やりがいも大きかったのですね。そこから高橋さんはトップレベルを目指し、12歳で故郷・橿原市(奈良県)を離れ、仙台市にある聖ウルスラ学院英智中学に単身で入学されましたね。
たくさんの学校から声をかけていただいた中で中高一貫のところで強い先輩と一緒に練習できる環境が成長につながるだろうと考えて、仙台へ行くことを決めました。父や母が進学先を決めたのではなく、自分自身の決断でした。知り合いもいない未知なる環境でしたが、とにかく強くなりたいという一心でしたね。
仙台に送り出す際、お父さんから「お前に帰るところはない」という強い言葉をかけられたそうですね。
はい。でも突き放す言葉ではなくて私のことを奮い立たせようとしてくれたのだと思います。いつでも帰っていいよと言ったら甘えが出てしまいますよね。「簡単にあきらめないように」と伝えるために父はそういう言葉を口にしたのかなと思っています。
中学1年生ではヘルニアと闘いながらも治療と競技を続け、技を磨いた3年間。高校に上がると、のちに金メダルを獲得することになる松友美佐紀選手とペアを組むことになります。
松友は1歳下ですが、出会ったのは小学校の頃でした。高校から聖ウルスラに入学することは知っていて、強い後輩が入ってくるのは最悪、というのがストレートな感想でした。お互いシングルスだけをやっていた選手だったので、まさかペアを組むなんて全く考えていなかった。自分たちはもちろん、田所(光男)先生も周りの人たちもそうだったと思います。
だからこそ、松友とのペアが決まった時は衝撃でした。「なんで? 何かの間違いじゃないの? 先生に話に行こうかな」と思ったくらいの驚きでした。たぶん松友も同じだったと思います。
田所先生が2人を組ませた理由は何だったのでしょうか。
明確な理由は特になかったと思います。リオ五輪の後、2人で一緒に学校を訪問した時に「どうして私たちをペアに選んだのですか?」と尋ねたことがありました。
先生からは「2人にはシングルスを頑張ってほしいと考えていたけど、チームとしては第1ダブルスの選手が卒業したから新しいペアが必要だった。第1ペアとしてメインでやらせようとは考えていなかったけど、高橋は姉御肌、松友は妹分みたいな関係だから性格的に合うのではないかなと思った」と言われました。
バドミントンに限らずですが、ペアでの競技は誰と組むかで人生が大きく変わりますね。
そうですね。自分も松友もお互いにシングルスで頑張っていきたいと考えていたけど、ダブルスを組むことで秘めた可能性を開花させてもらえた。そういうパートナーと出会わなかったら、その後の成長も五輪の金メダルもなかったわけですから、本当に感謝しています。
ベストな関係性を築き上げるために、特に意識したことは?
何か特別なことはしてこなかったと思います。松友とは目指している場所や目標、ペアとしての理想が最初からすごく一致していましたね。バドミントンに対する強い気持ち、熱い思いも一緒だった。そういうパートナーじゃないとうまくいかないと思います。
関係性のなかで意識したのは私が1つ年上なので、練習態度やメンタル的な部分では自分はリードするようにしていました。松友は少し緊張するところがあったので、「私が姉さんとしてドーンと構えよう」という気持ちで取り組んでいました。
高橋さんは2009年4月に日本ユニシスに入社。松友さんは1年遅れて入社し、そこから本格的な強化が始まります。
松友が卒業するまでは高校の試合が優先だったので、一緒に試合に行く機会は少なかったですね。彼女はシングルスで上を目指したいという気持ちもあったので、ダブルスに専念するための舵を切る決断も必要でした。「本格的にダブルスでやっていこう」ということになったのは、全日本選手権を初制覇する2011年の少し前だったと思います。その決断に心から感謝しています。
しかし2012年ロンドン五輪には出られず、その大舞台で先輩のフジカキペア(藤井瑞希・垣岩令佳両選手)が銀メダルを獲得。2012〜16年までの間は世界選手権で勝てないなど、紆余曲折もありましたね。
私たちでは無理かもと考えたことも正直ありました。当時は中国ペアを筆頭に他国にも強いペアがいて、金メダルが遠く感じていました。それでも、足りないと感じた分は練習で埋めていこうと前を向いて進んでいきました。
私が無理かもしれないと思った時には、松友が絶対に大丈夫と支えてくれたし、逆もあった。お互いがいつも同じ場所から上を目指していて、中国ペアに勝てる方法を考えたり、トレーニングしたことが大きかった。やっぱりペアは一心同体ではないですけど、つねに同じものを見ていないとうまくいかない。それを痛感した4年間でしたね。
そして迎えたリオ五輪本番。順調に勝ち上がり、決勝はデンマークのクリスティーナ・ペデルセン&カミラ・リュダユール組との対戦でした。第1ゲームを18-21で先行され、第2ゲームを21-9で制してタイに持ち込み、迎えた第3ゲーム。一時は16-19とリードを許し、絶体絶命の状況に直面しました。
諦めないという気持ちだけだったと思います。本当にそこが一番というか、金メダルにつながらなかったとしても、自分が負けを認めてしまったら終わりだと考えていました。五輪の決勝という舞台なんて自分の人生の中で二度と味わうことができない貴重な時間。だからこそ、ここで諦めるわけにはいかないと強く思いました。「とにかく1点、1点を取って積み重ねていくしかないんだ」と自分自身を奮い立たせながら、最後まで戦い抜けたと思います。
最後に相手のコートにシャトルが落ち、金メダルが決まった瞬間は?
「終わった?勝ったの?何が起きたの?」という感覚でした。「金メダルだ!ヨッシャー!」という感じではなかったですね。あの状況で逆転できたのは、傍から見ればすごいことでしょうけど、自分たちのなかではやっぱり諦めずに戦ったから勝てたという感覚がありました。
その後の盛り上がりは?
表彰式でメダルをかけてもらい、現地のテレビ局回りをし、たくさんの方からメッセージをもらって、じわじわと実感が湧いてきた気がします。
ずっと慌ただしく動いたので、感動を味わう余裕もなかった。現地に5日間残って、閉会式も参加しましたけど、何をしていたのかほとんど記憶がないですね。それくらい怒涛の日々だったと思います。
ここからは食事についてお伺いします。食事面での意識や勉強などはされていましたか?
私は他のトップアスリートの方に比べると、考えて食事をするようなことはなくて、『よく金メダリストになれたな』と自分でも思います。周りの選手を見ると、本当に細かいところまで管理されていたりするので、本当に尊敬しています。
そのなかでも取り組んでいたことは?
少し体重が重くなったかなと感じた時に脂質を減らす意識はしていました。もともとお菓子などはそんなに食べる方ではなかったですし、バドミントンは想像以上にハードなスポーツなので、動いていれば食べた分だけ消費されていく。体重の増減もあまりないタイプだったので、たくさん練習して好きなものを食べるようにしていました。
もう1つ挙げるとすれば、食べ方ですね。栄養士の方から「汁物から先に食べた方が翌日の疲労が和らぐ」という話を聞いてずっと実践していました。夏場は食事が進まないこともありましたけど、少しでも食べ物を口にしないとちゃんと練習ができない。汁物から食べれば、食欲も多少なりとも湧いてくるので気持ちの面でも前向きな効果がありました。
栄養士の方のアドバイスもあったということですが、「きのこ」も栄養価の高さと低カロリーなことからアスリートにとってプラスに働く食材と言われています。「きのこ」も食べる機会は多かったのでしょうか?
そうですね。私はしめじ、マイタケ、シイタケとキノコは全部好きなので、今も昔もよく食べています。今でも、最近食べてないなと思ったら食べるようにしています。腸内環境を整える効果もあってありがたいですよね。
また、海外(遠征時)ではマッシュルームスープが好きでよく飲んでいました。日本だとなかなかマッシュルームスープを置いている店が少ないですけど、欧州に行けば、比較的手軽に飲めるので、頻繁に注文していましたね。
お子さんが生まれてから食事や栄養への意識は変化しましたか?
子どもではなく結婚をきっかけに変わりましたね。旦那さんが2年前まで現役のバドミントン選手だったことと、義母が凄い料理上手で、食事のたびに何品も作っている姿を間近で見ていました。自分も現役時代に1人暮らしで自炊していた経験もあったので、主菜1品・副菜2品・汁物・ご飯といったメニューでバランスを考えながらほぼ毎回、作っていますね。
それでは最後に、バドミントンを頑張っているジュニアアスリートへのアドバイスをお願いします。
ありきたりにはなってしまいますが、私はバドミントンで決めた目標に対して「絶対に叶う」「叶えてやる」という強い気持ちを持って私生活から取り組んできました。子どもたちにも「絶対に自分が一番になってやる」とか「この大会で勝つ」「勝てる自信」を持って練習に取り組んでほしいです。ただバドミントンだけを頑張っていても結果はついてこない。私生活からも人間力を高める意識を持つことができれば結果もついてくると思います。
では、食事面でのアドバイスもお願いします。
いいパフォーマンスを発揮しようと思うなら、食事に気を配ることも大事です。ただ食事だけで考えず睡眠などと合わせて取り組むことが重要だと思います。メジャーリーグで活躍している大谷翔平選手(LAドジャース)が睡眠を大切にされていることは有名ですが、私も試合や練習前には8時間は睡眠をとるようにしていました。
現役を振り返ってみると、コンディションが悪い状態で練習や試合に臨むことは少なかったですし、幸い怪我も多くはありませんでした。そこは食事、睡眠を含めた自己管理のおかげでいい状態を維持できたのかなと思います。そうした自分の経験が少しでも子どもたちの参考になればうれしいですね。
高橋さんが今食べたい菌勝メシ
コメント
きのこは腸内環境を整える効果もありますし、肉や魚など、いろいろなものに組み合わせて変化を付けられる食材なのでよく使っています。ハンバーグにきのこを合わせれば、マイルドでうまみのあるソースになり、食べ応えも出てよいですね。
きのこたっぷりジューシーハンバーグ
きのこに豊富なビタミンB1は糖質代謝を助けてエネルギーチャージや疲れのケアに役立ち、ビタミンB6はタンパク質を代謝することで筋肉づくりをサポートします。ハンバーグにすることでご飯も進み、栄養バランスもよく、元気に動けるカラダを作ります。
profile
(たかはし あやか)
1990年4月19日生まれ、奈良県橿原市出身。聖ウルスラ学院智英中学校―同高校―日本ユニシス。
2人姉妹の長女として生まれ、小学校から本格的にバドミントンを始める。10歳の時に全国小学生大会で優勝し、中学から仙台へ。高校時代に松友美佐紀選手とコンビを組み、高校3年だった2008年には女子ダブルスとチームで全国制覇。その後はダブルスで力を発揮していく。初めて全国の頂点に立ったのは、2011年の日本総合選手権。2012年ロンドン五輪には出場できなかったものの、その後の4年間は日本女子バドミントン界のエースに君臨。2016年リオ五輪で悲願の金メダルを獲得した。2000年の東京五輪も目指していたが、コロナ禍に突入。大会が1年延期になったこともあり、2020年8月に現役引退を発表。その後、男子バドミントン選手の金子祐樹さんと結婚。現在は母親業に軸を置きながら、バドミントンの指導や講演活動などに携わっている。
協力:THE DIGEST



