プロアスリートを支える食事に迫る。第55回 ブレイクダンス・福島 あゆみ選手インタビュー
2025.06.01
明日への一歩を応援する「Do My Best, Go!」。今月は、2024年パリ五輪で一世を風靡したブレイキンの福島あゆみさん(ダンサーネーム=AYUMI)が登場。ブレイキンを始めたきっかけや今までの取り組み、大切にしている考え方やアスリートの食生活まで、幅広くお話をお伺いしました。
21歳からブレイキンを始めたという福島さんですが、幼少期はどんな子どもだったのでしょうか?
体を動かすことが好きで、小学生の頃は水泳、その後はバレーボール、テニス、剣道などいろんなことにチャレンジしていました。本格的にやっていたのは中学時代のテニス部でしたね。でも、そこまで運動神経もよくなかったし、体育の成績もだいたい3。普通の人よりもできないくらいの子どもでした。
ただ、新しいことに対して抵抗はなくて、何でも楽しんでトライできる方だった。そこがよかったのかもしれません。
ダンスも昔から興味があったのでしょうか?
中学3年生から高校の時にヒップホップを習いに行っていました。姉(梨絵さん=ダンサーネーム=NARUMI)はその影響でブレイキンに出会い、かなり本格的に行っていましたが、私は最初はやっていませんでした。高校時代は(ダンスは関係なく)留学するつもりでアルバイトに勤しんでいました。
その後、高校卒業後にはカナダへ留学をされますが、ブレイキンと出会ったのはカナダから一時帰国した時だったそうですね。
はい。姉がやっていたので、日本に滞在した2か月間、まず練習して、カナダに戻ってから本格的に取り組みました。
でも最初はどこで練習すればいいのかも分からない。「どうしよう」と思いつつ、たまたまカフェでお茶をしていた時に、ヘルメットを持ったB-BOY(ブレイクダンスをする男性ダンサー)らしき日本人を見つけて、勇気を出して話しかけ、その流れで練習場所に連れていってもらいました。その人は稲垣修二さんという大先輩で、前日にワーキングホリデーでカナダに到着したばかりだった。そんなことがあるのかというくらいの偶然が起きて、仲間ができ、輪が広がって、のめりこんでいった感じです。まさにご縁ですね。

その後、25歳で帰国。京都に戻ってからはどのような活動をされていましたか?
まず一般企業で勤めて、事務の仕事をしていました。帰国して1年後くらいに姉と他のメンバーが作ったチームであるBODY CARNIVAL(ボディ・カーニバル)に入って、日中は仕事をして夜に練習する生活をコロナ前まで15年近く続けましたね。最後は11~12年いた日本語学校。生徒のカウンセリングや事務の仕事、英語を教えたりもしていて、遠征に行くためにかなり融通を利かせてもらいブレイキンの活動を応援して頂きました。
2017年には、オランダ・アムステルダムで開催された世界最高峰の大会「Red Bull BC One World Final」に女性として初出場。その後2021年には、福島さんは世界ブレイキン選手権(フランス)で金メダルを獲得しましたね。
この大会の1か月前に違うバトルで負けて、「世界選手権まで1カ月しかないから頑張ろう」と集中力を高めて挑んだ記憶があります。最後まで諦めずに踊れたことが自分自身、大きな思い出ですね。ブレイキンっていうのはすぐに結果が変わってしまうもの。「あそこでもっと行けたのに」という後悔が残るのが一番嫌ですね。あの世界選手権は「何としても頑張ろう」と思えた大会だったので、その姿勢がすごくよかったと感じます。
そして迎えた2024年のパリ五輪。本番は新種目ということもあって、日本中の人々が選手たちの一挙手一投足を見守りましたね。
1回戦から勝ち上がっていくんですけど、フィジカルを上げたり、ムーブ数も沢山いるので、結構大変でしたね。見ている人から「採点が難しい」という声を沢山いただきましたけど、実際にやっている私たちも結果が出るまで分からないんです。接戦になって「勝ったでしょ」と自分の中で思っていても「うわ、負けた」と結果になることもある。だからこそ、「負けたとしても納得いく踊りができればそれでいい」と考えながらやりました。
オランダのINDIA選手との準々決勝はどうでしたか?
やっぱり悔しかったですね。「もうちょっと何とかできたな」という感覚があったので。踊り終わった瞬間は「やりきった」という気持ちが湧いた反面、「ちょっとミスというか、キレイに流れていないな」と感じたポイントもあったので、「絶対に勝った」とは思えなかった。実際に直後にボードが上がって、「あー、やっぱり出し切れなかったんだな」と感じました。でも「次に向けてまた頑張ろう」とすぐに切り替えましたね。

ここからは食事についてお伺いします。ブレイキンは体重管理が重要なスポーツだと思いますが、福島さんは食事面でどのような工夫をされていますか?
ここ5年くらいは年齢も上がってきたので、食べるものの好みも変化したんですよね。2024年パリ五輪の強化選手になってからは栄養の先生もついてくれたので、いろいろ指導を受けて考えるようにもなりました。もともと野菜が大好きなので、野菜中心の食生活を送っているんですけど、肉や魚を食べることはつねに心がけています。水分に関しても少し前まではあまり考えていなかったんですけど、その重要性を学んでからは摂取量が大幅に増えています。
もう1つはお菓子。私はもともと洋菓子がメチャクチャ好きなんですけど、それを頑張って和菓子に変えるといった努力はしています。栄養の先生から聞いたことなんですが、ケーキやクッキーよりはようかんやどら焼きの方がいい。今はナッツやプロテインバーを補食で食べるようにもしています。
食事の内容にも気を遣っている福島さんですが、「きのこ」も栄養素の豊富な食材。食事に取り入れることはありますか?
きのこや海藻は栄養士の先生からも食べた方がいいとアドバイスをいただいていて、積極的に摂るようにしています。きのこ類は食物繊維も多く、様々な肉、魚とあうので日々違ったメニューで料理に取り入れられて欠かせない存在です。
きのこは煮物に入れたり、炒め物に使ったり、お味噌汁に入れたりと、いろんな食べ方がありますよね。私はきのこと緑黄色野菜、魚類の塩とバターの炒め物、きのこと玉ねぎ、肉類を甘辛く味付けをする炒め物などをよく作ります。
きのこの中で一番好きなのは舞茸かな。天ぷらなんかは本当においしいです。ただ、天ぷらを家で作るのは大変なので、鍋やお味噌汁に入れるのが簡単だし、多いですね。
海外に行ってもマッシュルームが必ずスーパーにありますし、できるだけ多く摂るようにしています。
きのこは腸内環境を整える効果もありますが、腸の状態については意識されていますか?
私は環境が変わるとお腹が敏感に反応してしまうので、すごく気にしています。また、免疫がさがると体調不良を起こしてしまいますので、そのような点からも、腸内環境には日々気をつけています。
アスリートの場合、練習後、1時間以内に食事を摂ることを徹底している人もいますが、福島さんはいかがですか?
私の場合は練習後に指導の仕事があるので、すぐにご飯を食べられないんです。そこで先ほども話したようなナッツやプロテインバーを食べて、家に帰ってから夕飯を食べる形ですね。本当はトレーニング後にすぐ栄養補給するのは一番いいんですけど、出来ない場合は補食を摂ることが大事だと思います。
福島さんはブレイキンを指導する際、食事に関するアドバイスもしているということですが、意識していることはありますか?
はい。私が教えているのは3歳~30歳までと幅広くて、特に小中学生の親御さんから食事について聞かれることが多いです。
そこで話すのは「バランスのいい食事を摂る」「タンパク質を多く摂取する」「しっかりご飯を食べた方がいい」ということ。特に中高生は身体をしっかり作らないといけない時期。筋肉がしっかりつかないと技がスムーズに出せなかったり、ケガがちになってしまったりするので、やっぱりそこは重視してほしいですね。
大人の場合はそこまで食事に対して何か私が助言することもないと思いますけど、やっぱり「健康のためにもバランスの良い食事をしっかり食べましょう」という声かけはしています。

福島選手の今食べたい菌勝メシ
コメント
栄養バランスのとれた食生活を基本に、免疫力が下がると体調不良を起こしてしまうため、腸内環境にも日々気をつけています。きのこは食物繊維が豊富ですし、様々なメニューに合うので料理に欠かせない存在。このオムライスは簡単に作れてきのこがたっぷりとれるところが良いですね。

きのこの簡単オムライス
きのこにはエネルギーづくりや身体づくりに役立つビタミンB群が豊富なので、ごはんや卵などの糖質・タンパク質の豊富な食材と合わせることで効率の良い身体づくりが叶います。
profile
(ふくしま あゆみ)
1983年6月22日生まれ、京都府京都市出身。
高校卒業後にカナダ・バンクーバーに留学。一時帰国した2004年夏に姉の梨絵さん(NARUMI)に誘われ、ブレイキンを始める。さまざまな国内外のバトルにチャレンジし、2010年代は海外にも積極的に進出。2020年に2024年パリ五輪でのブレイキン正式種目採用が決まると、そこから代表の座を巡る予選に参戦。湯浅亜美(AMI)らとともに代表候補入りし、強化合宿に参加するようになった。2021年には、世界ブレイキン選手権(フランス)で金メダルを獲得。2022年・2023年大会でも3位・2位に入り、2022年京都府スポーツ賞特別栄誉賞を受賞するなど、パリ五輪の金メダル有力候補と目された。本番では準々決勝敗退という悔しい結果に終わったが、ブレイキンの認知度アップに大きく貢献。40代での五輪出場という意味でも大いに脚光を浴びた。
現在も選手として第一線で活動しながら指導者、審査員活動、イベント参加など、幅広くキャリアを積み上げている。
協力:THE DIGEST